ぎゅっぎゅっ、な毎日?

『ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記』(http://let-me-pick-you-up.hatenablog.com/)から派生した今現在の我が家の日記です。

不寛容な時代に寛容さを ~他者への理解のまなざしを持つこと~

~モノローグしてみよう~

最近どうも家族全員体がクタクタです。

引っ越しや子どもの入学、夫の転職など、人生の大きな転機を何とか乗り切ったかな?とみんなそれぞれひと段落ついた所。

ちょっと疲れる余裕が出来たのかもしれません。

 

そんな時は無理をせず体を休める事にしています。

そしてちょっと心も一緒にリフレッシュしたいな、と思い『独白』なるカテゴリーを作ってみました(笑)

 

日ごろ気付いた事や心に浮かんだ事を書き留めてみたいと思います。

(ですので、あまり息子に関係ない事もありますので読み飛ばして下さいネ(;^ω^))

 

 

~ペットボトルの残量~

日に日々暑くなってきましたネ。

まだ五月なのに30度以上になる地域もチラホラとある様で、今年も暑い夏になりそうな予感ですね。

 

そんな気温の影響で、我が家でもペットボトルの消費量が急激に増えてきました。みんなが飲んだペットボトルの包装フィルムをはがして廃棄処理をしていると、時折ある出来事を思い出します。

 

それは今から約2年程前の事です。

夫が飲んだペットボトル飲料について、夫と少し言い合う事がありました。

 

ある日、机の上に無造作に置かれたままの飲みかけのペットボトルがありました。

夫は何日経っても捨てもせず飲みせず。私としては夫がこれをどうしたいのかわからず数日置いておきましたが、『流石にネ・・・』と思い切って聞きました。

  

私)「ねえ、このペットボトル、ずっと置いたままだけど?」と切り出すと

夫)「あ、それ捨てといて。」とあっさりした返事。

 

自分で飲んだものを他人に捨てさせるなんてヒドイ・・・、とは思わないのですが、(夫も疲れているだろうし、これくらいの事なら別に家事の一環かな?と思うので。。。)

この時は思わず『えっ・・・?』と戸惑いました。

理由は、ペットボトルの中身がまだ結構残っていた状態だったからです。  

 

実は今までも同じような事は何度もありました。

夫は以前からペットボトルとか缶コーヒーなどを最後まで飲み切った事がなく、いつも最後に少し(或いは相当な量)残したまま飲み終えるのです。

 

ただこの時はかなりの残量だったので納得がいかなくて、詰め寄ってしまいました。

『・・・もったいない。

1粒のお米には7人の神様がいるんだよ。』

 

と、こんな風に古臭い考えの私は今日こそ飲み残す理由を聞こうと思い立ったのでした。

 

私)「あのね、いつも飲み残してるけど、美味しくないの?それとも途中で飽きちゃうの?ならもう少し小さいサイズを買ったらどうかな?」と。

 

すると夫の反応は意外でした。

夫)「え?残ってたの?」と。

 

どうもその夫の反応が白々しく思えて、少し怒り口調で

私)「これだけ残っているのに、わからないはずないでしょ!?」

と返してしまいました。

 

すると夫は

夫)「・・・ごめん。本当にわからなかったんだ。」

と随分凹んだ表情をしていました。

 

この表情はきっと本気なんだな、と思い流石にそれ以上は責められませんでした。

でも

『どうしてこんなに残っているのに・・・

例えば少し振れば、残りが波打つ音や揺れた感覚で気付けるよね?

どうしてそんな事もわからないんだろう・・・。

こうした思いは消えませんでした。

 

こんなブログの片隅に書く事でもないかもしれませんが、夫はそれなりに知能が高い様に思います。でもこうした生活の知恵的な部分が欠落していて、私にはそれが単なる怠惰にしか見えない事もありました。

 

けれどこの時の悲し気な表情がずっと忘れられなくて、自分は何かを見落としているんじゃないかな・・・とそんな思いが払拭できないまま月日が過ぎていきました。

 

(といいますか、この一件以来当日飲み残したものは本人に断らずに即日中に捨ててしまう様になり、 私としてはこうした出来事もすっかり忘れていたしまっていた次第です。)

 

 

 

~息子の振り返り記事を書きながら…~

もともとは息子の発達障がいと向きあう様子を記録しようと始めたブログでしたが、そうした振り返りが息子以外への気付きにつながる事があります。

 

それが先述のペットボトル事件だったのです。

では、どう気付いていけたのか?をお話しさせて下さい。

 

 

息子が5歳を過ぎた頃、現状での通過点の確認の意味で発達検査を受けた事がありました。

その検査の中で、息子が不通過となった項目がありました。

それは、見た目は同じ2つの立方体(大きさ・形・色など見た目が全て同一)を持って重さを比べる検査でした。

 

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私自身は持ち比べていないのですが、おそらくはっきりと重さの違いがあるはずなのですネ。。。

息子は視覚的な違いは良くわかるタイプですが、見た目が同一の場合の違い(つまりこの場合は『重さ』)を感じとる感覚がどうも鈍感であるという事がこの時にわかりました。

 

 

~固有感覚を受容する弱さ~

※私自身は脳の神経学や感覚統合といった分野については素人でして、子どもの事がきっかけで勉強し始めた程度の知識しかありません。ですので今回うまくご説明出来るか?とても不安ですが、、、当時理解を深めようと調べた事なんかを書いてみますネ。

 

”同じサイズのキューブの重さがわからないってどういう事かな?”と思い色々調べた結果、

固有感覚という自分自身の体の範囲や、何かの重みを感じる感覚といった部分に少し弱さがあるのでは?という事がわかりました。

 

うん、確かに。

当時の息子はボディイメージがまだ弱くて、ジャングルジムやボルダリングで遊びながら伸ばした指や足先のイメージと、実際に受け取った感覚を一致させる事なんかを意識していた頃でした。

 

それにこのブログ名にもあります通り”ぎゅっぎゅっ”と強く抱きしめられるのが安心するらしい事からも、固有感覚を理解する事は息子にとって大事なんだなという事がわかったのです。

 

ですから理解した事はブログに書き留めておこうと、下書きとしてメモをいくつか残そうと書いていた時に*1『あ、、、そういう事だったのか。。。』と気づきました。

 

夫も息子と同じだったのですね。

『ペットボトルや缶の中身は見えにくいからわからなかったんだ。

夫もわざとじゃなくて、固有感覚が少し弱いんだ。。。』と。

 

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やっと気付けた瞬間でした。

そしてそれば特段夫が発達に凸凹があるとかそういった事ではなく、誰しも例えば少し人より嗅覚が鋭いとか、舌が鋭いとか、痛みに強いといった得手不得手がある中の一つなのだろうと。

 

こうした事に気付き始めてから、私は誰かを叱責する前に『どうしてそんな事をしたのかな?』と考察に努める様になりました。

 

人生の折り返しでやっと気付けたなんて遅すぎますが、あと残り半分は誰かの事を不用意に傷付けずに済むかもしれませんネ。

 

自分の尺度だけで物事を判断してばかりで、どんどん他人に対して不寛容になっていたのかなぁ。不必要に他者を拒まず、寛容でいられる様にもっと勉強していきたいなと思った出来事でした。

 

 

*1:当時はまだブログの振り返り記事が実年齢よりも一年以上遅れていたので、未公開記事としてメモを残す慣習でした