2度目の保育士試験を受けてきました。
試験終了
退っ引きならない事態はとりあえず終了しました(^^;)
完全に私事なのですが、先日ようやく保育士試験が終わりましてひと息ついたところです。実技試験を初めて受験してみたのですが・・・感触としては1科目は確実に落ちたと思われます(笑)緊張しすぎてボロボロでした~(^^;)
また秋の試験で頑張りたいとおもいます。
保育士を目指す理由
色々理由はありますが、
『声なき声を拾って、伝えなくちゃいけない人に伝えたい』
そんな思いから保育士を目指す事にした経緯があります。
まだ赤ちゃんや2~3歳の子にとって、自分の内面を全て表現しきる事なんて誰でも難しいと思うんです。それが発達に困りを抱えている子となると、
「お腹が減った。」
だとか
「眠い。」
なんて誰でも言えそうな一番原始的な欲求でさえ本人は掴み取れない事がありますよね。しかも更に事態を悪化させる様なパニックを起こしたり、母子間の愛着形成を阻害する様な感覚過敏/鈍麻を併せ持ってしまう事もしばしばあります。
そうなると周囲の大人たちからの『困った子』として見られてしまい、家族全員が更なる負のスパイラルに巻き込まれてゆく事も・・・往々にしてあると思うんです。
そんなお子さんと周囲の大人たちの間に入ってお互いの気持ちを代弁出来たらいいなぁ、誤解を解いてあげれたらいいなぁ、なんて思いを持ち始めたのが子どもが幼稚園の年中の終わりごろでしたでしょうか。
その思いは今も変わらず、もし私と息子とのこれまで経験が誰かの為に役立つなら・・・私を求めてくれるお子さんやお母さんがいるならお手伝いさせていただきたいと思っています。
障がいの有無は関係ないかも
確かに最初は発達障がいに特化した保育士になれたらいいかな、と思っていたんです。でも、子どもが少しづつ大きくなるにつれ、果たしてそれが本当の望みなのか・・・?と疑問に思う様になりました。
子どもがどんどん成長してくると、周囲のお子さんを見る機会も増えていったんですね。そうすると障がいの有無なんて関係なく、どの子も困りや課題を抱えていたり、大人とのコミュニケーションを求めていたりする事に気付きました。
むしろとても困難な障がいを抱えていても両親から大きな愛情を注がれているお子さんは、あまり手が掛からないが故に親御さんとのスキンシップが少ないお子さんよりも幸せそうに感じる事も多々。
そうなってくると、障がいの有無を基準にすべきじゃない気がしてきて・・・私が保育士を目指したい理由がぼやけてしまった頃がありました。
そんな時に私に気付かせてくれたのは今の息子の担任の先生でした。
鮮やかな公開授業
詳細はお話し出来ませんが、最初に拝見した授業参観の内容があまりにも鮮やかで、授業そのものがキラキラと輝いている様に感じられました。
どのお子さんも率先して自分の意見を述べようと挙手する姿であったり、お話しをしている先生の方を常に見ようとする姿勢など、子ども達の生き生きとした姿に素直に感動しました。
そして一番感銘を受けたのは、全体としてまとめ上げながらも個々へのきめ細かいフォローもなさっていた事でした。
こうした先生の生徒への向き合い方から感じられた事として、
”出来ない事を出来ないと指摘するのではなく、まずは出来る事を認めていく”
という姿勢でした。
現状の子ども達一人一人のありのままの姿を一旦受け入れて、それを一つにまとめ上げるのはなかなか力量がないと出来ないと思います。そうじゃない場合、自分の出来上がったスタイルや型にはめて子ども達をその中だけで動かそうとしなくちゃならなくなりますよね。
息子の担任の先生はそうではない先生だったのです。だから出来る事や出来ない事が不ぞろいでも大丈夫な様に、いつもいつもオーダーメイドな授業や学級運営をされているんだろうなぁと思います。
そんな授業の様子を見せていただくと、すぐに
”私も保育士としてこうありたい!”
と思えたのです。
こうして1年程先延ばしにして逃げてきた保育士試験をようやく今回受験する気持ちになれたのでした。
いつか、自分が初心を忘れそうになった時にこうした気持ちを振り返りたいのでこの記事を残させていただきます。
っとその前に秋の再試験に向けて今からまた頑張って練習しなくちゃ(笑)