ぎゅっぎゅっ、な毎日?

『ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記』(http://let-me-pick-you-up.hatenablog.com/)から派生した今現在の我が家の日記です。

恐らく・・・ダブルカサンドラ症候群。

私の事情

 

ダブルカサンドラ症候群なんて言葉があるかどうかわからないんですが、私たち夫婦は夫と私の双方がそれぞれカサンドラ症候群状態(カサンドラ症候群 - Wikipedia)なのかもしれない、と気付きました。

 

ネット上のどこかで読みましたが、双方に自閉的な傾向がある場合はカサンドラ症候群とは言わないのだそうです。確かに私たち夫婦には双方にそれぞれ何かしらの特性があると思いますので、ダブルカサンドラ状態なんて言葉は不適切かもしれません。

 

しかし私たち夫婦間においてはこう思うんです。

共感して欲しい私と他人に自分の感情の中に踏み込んでほしくない夫(つまり共感して欲しくないって事になるかもしれません)との心のベクトルの向きがあまりにも違い過ぎる事が、お互いを傷つけ合っているのではと思うんです。

 

 

夫はいつからかはわかりませんが、少なくとも私自身がここ2週間ほどの中でカサンドラ症候群を発症してしまった様です。

 

 

 

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きっかけは、私がうっかりしてて救急病院へ駆け込む事態になった際に夫からかけられた暴言でした。

 

こちらの状態や顔色、声色をなにも見ずに冷たく吐き捨てられた夫からの一言。

 

ショックや咄嗟の出来事で返す言葉もうまく出せないまま一人病院へ駆け込んだあの夜、病院を後にした時、夫への愛情が一切なくなり再び気持ちが戻る事はないだろうと感じました。

 

 

おかげ様で症状としては大したことなくその日の内に帰れたのですが、家に帰りたくなくて一人の時間を過ごす中で、今まで結婚以来ずっとずっと押し殺して気付かないふりをしていた感情に気付きました。

 

 

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もうすぐ夫と結婚して10年になりますが、この10年、無意識のうちに出来るだけ夫以外の人と関わる事は避けて過ごしてきました。

それは・・・誰かと会話したりアイコンタクトで共感を得られてしまえば、きっと夫との生活が辛くなる予感がしたからです。例えそれが同性の方であってもです。

 

夫との生活の中に足りなかったのは、共感の中で育まれる情緒的充足感でした。

 

私がどれだけ求めても・・・夫にはそうした要求は無い様子で、共感が返ってくる事はありませんでした。

 

食事時も団らんの時間も夫が見つめるのはテレビだとか動く物だとか、見る対象がはっきりしているものばかり。

 

目の奥底にある私の感情や心なんて、目に見える様な形あるものではありませんよね。きっと夫にはわかりにくかったのかもしれませんね。

 

そのうち子どもも生まれ、生まれた子は生後1年程度で発達のちぐはぐさを感じる様になり、この子に幸せな生き方をさせてやりたい一心でここまで必死に模索し続けた毎日。

いつしか夫に私の感情を共有を求める事は・・・しなくなりました。

 

 

だから尚更出来るだけ外を見ず、家庭の中にある小さな喜びや感動の中でそっと生きてきた様に思います。

 

 

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それが今年に入って、息子に関わる環境が改善したり、自治会の方々と仲良くお話しする機会が増えていく中で、私の話を聞いてくれる方や私と同じ思いを感じてくれている事を示して下さる方など、たくさんの方々のご厚意に触れる機会が増えてしまったんですね。

 

去年まではどれだけ学校にお伝えしても何一つ共感してもらえなかった事がまるで嘘の様。

息子を受け入れてもらえた事で私自身もたくさんの方々に精神的に救われたのです。

 

 

誰かと目と目でアイコンタクト出来る喜びや

感情を共有できる喜びは

私の乾ききった心に沁み渡る様でした。

 

”ずっと誰かと心で繋がりたかったんだ”

 

いつしか顕在意識レベルでそう自覚する様になりました。

 

 

夫の事情

そんな状態での夫からの暴言。

 

友人に相談しても

「そう言われるだけの理由があなたにもあるんじゃないの?」

と一蹴されてしまいました。

 

もしそうならば、きっと私たち夫婦はお互いに凸凹とした特性がある様ですので、それぞれがお互いに深く傷付け合って生きてきたのかもしれません。

 

 

確かに、夫は口頭指示が通じにくいのはわかっているのですが、だからといって視覚的にわかりやすく書いて伝えるとプライドを傷付ける事も多く、私としても要求や今やらなくちゃいけない事をついつい強い口調で言い捨ててしまっています。

(子どもの事が手一杯だった頃からの名残で、心のどこかで”大人なんだから指示待ちしないで欲しい”とか”自分で今この状況で求められる事を考えて動いて欲しい”という強い憤りの感情を強い口調で表現してしまうのだと思います。)

 

こうした私の態度に、夫は長年傷つき萎縮してしまったのかもしれませんし、それが尚更態度を硬化させてしまい感情の交流や会話のない夫婦へと陥ってしまったのかもしれません。

 

 

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カサンドラ症候群はどちらかに発達障がいの確定診断がなければ診断されにくいそうですが、確定診断してまで前に進みたいかどうか・・・悩んでしまいます。

 

 

子どもの事を思えば夫との関係を改善した方がいいにきまってます。

それにもし夫婦としての情があるなら、「子どもにしてきた様に夫にもアスペルガー症候群向けの対応をしてみたら改善しそうじゃない?」と思われそうなのですが・・・。

 

とても言いにくいですが、私にもAll or Nothing的な考え方がありまして・・・一度でも”許せない”、”嫌い”と思ってしまったら・・・もう二度と好きにはなれないと思います。(もちろん今回の事だけでここまで嫌になってしまった訳ではなく、色々な経緯の上に更に今回の事があったのだと事情を汲んでいただけると幸いです。)

 

 

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専門医を探して夫婦でカウンセリングを受け、新しい未来を模索するのも大切かもしれませんが、もういい大人が変わる事ってとても力が必要な事ですし、そんな努力をするよりもお互いが一定の距離を保って生きていく事の方が現実的なのかもしれません。

 

どうなるかはわかりませんが、そんな理由でうまく感情をまとめられない日々を過ごしています。