聞き取りの弱点を再発見
家での学び、
という事で漢字や計算にも一応取り組みつつ、学校ではあまり取り入れない様な取り組みもしてみようと思いました。
”聞き取り力”が極端に苦手なうちの息子。
何がイイかなぁと考えた結果、、、
恐竜以外にもそういえば国旗・国名が好きなので
入学祝いに親戚からもらった”しゃべる地球儀”を使ってみる事にしました。
地球儀の国や国旗を専用のタッチペンでタッチすると、
・国名
・首都
・面積
・人口
の4つを音声で紹介してくれます。
先日恐竜の話をしていた時に
「来年の夏休みにでも恐竜発掘世界マップを作れたら楽しそうだね~。」
なんて話題になりました。
それ以来
「タラルルスはモンゴルで見つかって、ミンミはオーストラリアで・・・。」とこの”しゃべる地球儀”で発掘地を確認したりする様になりました。
そんな息子の様子を見て、
「せっかく時間があるんだし、この音声をノートに書き残してみない?」と提案してみました。ちょうどカタカナ書きの練習にもなるかな~なんて。
まずはアジアから、と中々順調だったのですが・・・
面積や人口の所で何となく鉛筆が止まるのです。
確かにまだ最初だし、学校ではまだ何千万という書き方は習っていないし、という事で最初は私も手伝いながら。
止まる度に音声を止めて何度も聞きなおし、聞いた言葉を脳にインプットという事を繰り返す。少しづつ息子だけで挑戦させてみたのですが・・・
「お母さん、7910万の7000の後はどう書くのかわからないよ(・_・;)7000は7千て書いた方がいいの?」と。
これまでに書いたのを参考に挑戦してごらん、と促した結果が
↓これでした(^^;
700090010万人って・・・
7兆9億10万になってる(笑)
なるほどね、こうした混乱が日々あるんだなぁと改めて実感した次第でした。
(とりあえず聞いたままにメモ書きする、なんて事は手先が不器用なので難しいだろうし、全てを聞いた上で書こうとした時に『はて・・・?どう書くんだろう??』と疑問に思ったのでしょうね。)
この後、
7000
900
+ 10
7910
なんだよ、という説明を本人に行い、反復練習で様子を見ているところです。
家庭での学び
学校はまだ怖い・・・
息子が学校へ足を向けなくなって少し日が経ちました。
その間泣き暮れても仕方がありませんので、学校に代わる施設を探してみたのですが塾などは4年生~というところが多く、フリースクールもまだまだ少数。。。
低学年での不登校は行き場を失ってしまうものなんだな・・・というのが実感です。
こんな事になるなら私学への入学や入学前に就学猶予を検討しておけば良かったかなぁ・・・なんて思う毎日。忙しさ故に向き合えなかったあの時期を悔やむばかりです。
今できる事を。
当の本人ですが、学校には行きたい気持ちはある様です。
ただ、詳細な事情は書けませんが・・・怖いという事の様です。
なのでいつか戻れるように家での学びを進めていく事にしました。
といっても今現在の状況で家で嫌な思いばかりをさせてしまうと息子の行き場はなくなってしまいますので、今まで我が家が行ってきた家庭療育の手法で行っています。
好きな事を通じて学んでいく。
例えば”観察力や考察力”といった事ですが、
これは同じ恐竜図鑑なのですが、版(出版年数)によって内容が異なります。
ある日息子が
「お母さん、見て!ほら、このページ!こっちはユーヘロプスの仲間って書いてあるのに、下の本には書いてないよ!説明書きの所も微妙に違うんだよ!」
と伝えてきました。
そもそもどうしてこの本が2冊あるのか・・・なのですが(笑)公共の図書館や学校の図書室などへ出かけると、大好きなこの本があれば必ずチェックしているそうなんです。
で、そうして眺めているうちに違和感を感じたらしく、
「お母さん、どうしてもこの図鑑が欲しい。」とあまりの必死さに、わざわざ昔の本を探して入手した経緯がありました。
そうして購入した本と、それよりも出版年が新しい図書館から借りた本を見比べて
「ほら、やっぱりボクの思った通りだ、書いてある事が違うんだよ!」
と、今回この様に訴えてきたのでした。
「うんうん、ほんとだね。良く気付いたね。」と伝えた上で、
「(さすがに難易度はもう少し高くはなりますが)そうした版の比較は大学の文学研究なんかではよくやる基本的な手法なんだよね。」
と勉強のやり方や気付き方として正しい事を伝えました。
そして更に1歩踏み込んで考える為に、
「じゃあさ、どうして内容を変えたのか?せっかくだから変えなくちゃいけなくなった理由を考えてみようよ。」と促し、一緒に考察してみる事にしました。
あーでもない~こーでもない~
息子と議論の結果、
”新しい骨などが見つかって、意見が変わったから”
かな?
なんて話に落ち着きました。
・・・私とならこういった考察は出来るんですけれど、学校などで自分の興味の対象外な事については同じことは出来ません。
それが今の息子の現在地、なのでしょうね。
4~5歳までは宇宙好きだった息子ですが、今は恐竜が一番好きな様です。
だから今は好きな恐竜をつかうのが一番本人には導入が楽な様子。
そんな訳でついでにはさみの練習も恐竜で。
(最近どうもはさみのスキルが上達しそうな気配がありまして、少し積極的に取り組んでいます。)
↓これは雨の日のお楽しみ、として雨の日だけ取り入れている遊びですが、
図鑑の好きなページをカラーコピーして、
『草を食べる恐竜のページ』だとか『恐竜バトルのページ』を作って遊んでいます。
ストレスと多弁
以前↓こちらで多弁について少し記録した事がありましたが、
let-me-pick-you-up-d.hatenablog.com
今回はその追記です。
ストレスと多弁
息子が登校を渋り始めたのは9月に入ってからなのですが、その兆候は振り返れば実は6月くらいから出始めておりました。
「今日は休みたい」
なんて日があり、少し疲れた様子でした。
とりあえず休ませて詳しく話を聞くと
「学校の勉強がわからないんだ。」
と。
慌てて教科書を一緒に振り返ってみたのですが・・・
どこでつまづいているのかわかりませんでした。
教科書の内容は一通り理解している様子だったので、
「今日はとりあえずゆっくり過ごしてみよう。」とそのまま休ませて様子を見たんです。
ところが・・・
しばらくすると
”友達がしんどい”
とか
”授業がわかっている事ばかりでつまらない”
なんて事を口にする様になりました。
今から思えばこれが息子なりのSOSだったのでしょう。
学校には行っていたものの、大きな不安の中で過ごす毎日に精神的にギリギリの所まで追い詰めてしまっていたのかもしれません。
その間・・・
息子は家ではゲームかYoutubeの同じ話ばかりを繰り返す様になりました。
きっと周囲の世界が自分にはわからない言葉で構成されている様に感じる中、
大きな不安感の中で、少しでも自分がわかる話に持っていきたかった心理が働いていたんじゃないかなと思います。
当時は息子からの会話はまさに一方通行。。。外からの入力を一切受け付けない様な感覚がありました。
学校を休ませる様になってから、少し違う話が出来る様になってきました。
※なので当時は眠気の多弁と一方通行の多弁で聞く側の私の脳がオーバーフロー寸前といった感じでした(^^;
牛の涙 ~『いのちをいただく』を読む~
10月16日は世界食糧デー
ここのところちょっと暗い話ばかりして申し訳ございませんが、昨日は世界食糧デーという事ですのでせっかくですからこちらに即した話題を少し記録させて下さい。
少し学校へ行く事を控えていた時に息子と一緒に原罪について考えてみました。
というのもウチの子だけかもしれませんが、何かを食べる事(特に肉)に以前から罪悪感を感じている様子があり1冊の本を図書館から借りてきました。
正直・・・この本を読んでみせる事はとても悩みに悩んだのですが・・・たぶん息子なら乗り越えられるんじゃないかなと思いまして。
それはこちらの
『いのちをいただく』(内田美智子 氏:文、諸江和美 氏:絵、佐藤剛史 氏:監修、西日本新聞社:出版)
こちらは坂本義喜さんの原案をもとに児童向けに書かれたお話です。
~九州にある食肉加工センターでのお仕事の内容や、そこに連れてこられた”みいちゃん”という牛を解く・・・~
牛が死を覚悟した時に流した涙を通じて、食について深く考えさせられるお話です。
(詳しくはお話しする事を差し控えさせていただこうと思います。興味のある方は・・・少し覚悟を決めて読んでみて下さいネ。)
私自身がこのお話を知ったのは息子を妊娠中、今から6年前の事でした。
たまたまネットで『牛の涙』という題名の文章を見つけ何の覚悟もないままうっかり読んでしまい、1週間程度お肉を食べられなくなってしまった事がありました。
でも
”みいちゃんや坂本さんが教えてくれた事はそんな単純な事じゃないんだ・・・きっとどんな食べ物だって同じはず。
それなら自分が今生きている事や過去・未来に感謝して生きてみよう。”
と気付く事ができ、何とか立ち直った経緯のある本でした。
みいちゃん、ごめんね
ある日の午後、息子が学校から帰宅した後でホッとしながらおやつを食べていた時に、
「ねぇ、ちょっと食べ物を食べる事について少し一緒に考えてみない?あなたは何かを食べるのは悪い事だと思っているでしょ?ちょっと一緒に読んで欲しい本があるんだ。」
と息子に切り出し、『いのちをいただく』のほんわかとしたイラストの表紙を見せてみました。
すると
「いいよ、読んでみて?」とすぐに返事が。
読み進めていくと途中までは穏やかに読み進められたのですが、途中から私が号泣してしまってうまく読めませんでした。
でも息子はページを開いて見せるだけでだいたいの文字を読んでしまう特性があり、読み聞かせなくても意味を理解している様でした。。。
読み終えると
「みいちゃん・・・ごめんね。。。ごめんね。。。」とつぶやいていました。*1
そして
「ボク、もうお肉食べない!」
と高らかに宣言したのですが、
「それはみいちゃんが教えてくれた事とは少し違うかもしれないよ?」と、この絵本をきっかけに食に対しての色々な思いをお互いに語り合いました。
みいちゃんの王国を
このお話しがとても胸に響いた様で、ある日の午後、息子が
「マインクラフトでみいちゃんの王国を作ってあげたい。」と言い出しました。
マインクラフトとはざっくりと言えばブロックの様な立方体を組み合わせて作られた世界を冒険するゲームなのですが、色々な遊び方が出来る為、海外では教育の現場でも取り入れられている様なゲームです。
通称”マイクラ”と呼ばれるこのゲームではブロック遊びの2次元版の様な遊び方が出来るモードがあり、息子はそこにみいちゃんの楽園を作ってあげたいと思った様です。
↑綺麗な牛舎を作り、その中に
みいちゃんと名付けた牛さん達(何故か牛さん全員にみいちゃんと名付けていました(^^;)。
みいちゃんの安らげる場所を作ってあげられて満足した様子でした。
(ちなみに私が息子にマインクラフトをさせている理由は上記の様に自分が表現したいと思った事を表現出来る一つのツールになればいいなと思っての事です。)
このお話を読んで、食べられる食材が増え・・・たりはしませんでしたが、何故か
”もったいない”
という概念が息子の中に浸透した様で、これを機に何故かティッシュの使い方が少し上手くなりました(笑)
*1:「誰だよ、みいちゃんを。許せない!」とも言っていたので話の真意までは理解出来ていなかったかもしれません(^-^;
復帰への道のり
『どう生きるか?』をデザインする
以前、息子に
「眠る事と死ぬとの違いは何?」と聞かれて、まだうまく答えられなかった頃がありました。
当時の息子は入眠困難が顕著で、こうした事を言葉にし始めた頃でした。
ですから私としてもまだ4~5歳の子に答えきるだけの準備が色々と出来ていなかったのでした。
今でもまだうまく答えられる自信はないのですが、色々答えを模索する中で単に『生物としての死の定義』を答えれば良い訳ではないと感じ始めました。
私が与えるだけではきっとダメで、
答えの一部分でもいいから自分なりに見つけて欲しいなと思うんです。
自分なりに
『死とは何か?じゃあ生きるって何か?』
を考えていく事が
「眠りと死の違い」の答えに通じるのでは?と思っています。
そうした答えを考える上で以前ご紹介した自然史博物館で学んだ
let-me-pick-you-up-d.hatenablog.com
ナガスケやマッコ、それから大好きな恐竜などの生きた証を見、自分はどう生きていきたいのか?を考えてくれたらいいなぁと思っています。
集団を選ぶ
今、息子は聴覚やその他の過敏、そして高機能自閉症の人が陥りやすいつまづきによって大きな不安の嵐の真っ只中にいます。
でもその嵐ももうすぐ過ぎ去りそうな予感がしてきました。
少し落ち着いてきた今だから言える事ですが、
あえて誤解を恐れずに言うならば
学校が辛いなら行かなくたって構わない。
学校が合わないからといって、間違っても死にたいなんて思わないで欲しい。
(教育を受けさせる義務を背負っているのは親であり、その環境が適切でないならその指摘をしなくちゃいけないのは親の責務。だから今回の件は私が背負わなくちゃいけない。)
集団の中の価値観だけが全てじゃない。
一歩外に出てみればすぐそこに学校とはまた違った価値観が普通に存在していますよね。
高山に咲く花もあれば、深海に生きるエビもいる。
置かれた場所で咲きなさい、とは思うんですが、自分が身を置く場所は自分で決めてもいいんじゃないかな・・・。
ただ、自分で決めたなら人のせいにはせずに、どう生き抜くかを自分で工夫していけたらいいなと思います。
どうやら息子は集団の中に戻ろうと決めた様です。
私としては、その道のりはかなり険しい事を伝えなくちゃいけません。
戻るからには人の話を聞いて理解する授業にある程度心構えできる様に、
又、周囲にもまだ耳からの情報だけではおぼろげな理解でさえ怪しい事を理解していただけないと復帰は難しいでしょう。
もう少しこの状況を変えていく為に頑張ってみます。
モンスターの涙
どこまで書けるかわかりませんが、少しだけ現在の心境を残させて下さい。
今は子どもの登校渋りの件で学校や周辺施設へアプローチを続けている最中です。
学校に対して言葉で自分の感覚をうまく伝えられない息子の代弁をしたり、発達障がいや感覚過敏についての理解をお願いしていく中で、どうしても理解していただきにくい状況が少し続く事がありました。
いくら伝えてもうまく伝わらない辛さ、もどかしさ。
徐々に自分には全く味方がいないのではと孤独感に苛まれ、とうとう私はモンスターになってしまいました。
モンスターペアレント・・・。
自分でもそう思います。
声を荒げて自分の意見を通そうとし、少しでも反論されそうになればなりふり構わず噛みつこうとしていました。
必死のあまり逆に子ども自身がどんどん不利な立場に陥る事も顧みれない愚かなモンスター。
それでもまだ味方はいると思っていました。
少し遠いけど
以前の療育の先生や主治医の先生にはわかっていただけていると思います。
そして夫。
だから私たち親子は四面楚歌ではないと思っていたのです。
でも
その夫からこんな一言を受けてしまいました。
「もう少し穏やかにやれないの?
声を荒げているのを聞くのはうるさいんだけど?」
と。
モンスターは壊れてしまいました。
お酒を浴びる様に飲み、嗚咽も自制できない程泣きました。
もう全ての気力を使い果たしてしまった様で、少し立ち直るのに時間がかかりそうです。
誰かに助けて欲しかった。
私と一緒に行動してくれて、私が声を荒げそうになった時は代弁してくれる人がいて欲しかった。
本当はそれを夫にして欲しかったのですが、どうやら夫にも理解を得られていなかった様です。
地球の事、宇宙の事
やっぱり聴覚過敏でした・・・
ご心配をお掛けしているかもしれませんので少しだけ近況をお話しさせて下さい<(_ _)>
聴覚などの感覚的な苦痛に耐えかねて不登校ぎみになってしまったうちの子ですが、今は少し落ち着きを取り戻し、遅刻しながらも学校へ向かう様に戻りつつあります。
勉強がしたくて小学生になるのを楽しみにしていた子なのに、聴覚の過敏さに対して私の準備が足りなかった様に思います。
ノイズキャンセリングイヤホンやヘッドホンといったツールの導入を前向きに検討していかなくては・・・。
※もちろんこうした結果に至った原因は聴覚過敏だけではないので、また最初から一つ一つ対応していきたいと思っています。
自然や生き物への理解を深める
さて、そんな訳で休む日が増えたのですが、休みは心のリフレッシュの為に使いました。
ある一日は自然史博物館へ赴いてたくさんの命の軌跡を一緒に見て回りました。
息子が一番感じ入ったのはやはりこのクジラの標本でした。
奥が「ナガスケ」(ナガスクジラの標本)で、
手前が「マッコ」(マッコウクジラの標本)です。
それぞれに愛称があり、この館のシンボル的存在なんですね。
大きく、そして流れる様に美しい骨。このクジラ達が一生懸命生き抜いた証の様に感じます。
ただ、この美しい骨を取り出す為には大変なご苦労があった様で、その大きさ故に薬品などで処理する事が難しかったそうです。そこでクジラ達を土に埋めて微生物に分解してもらった、との事でした。
そうした説明文を読みながら
「お母さん、ナガスケは分解するのに7年もかかったみたいだよ。」
とか
「マッコは3年かな?」
と息子は食い入るように読んでいました。
(微生物や分解者といった存在を理解し始めている様子がうかがえました。)
それぞれの視点
とまぁ、上記はどちらかと言えば私の感想です。
息子は私とはまた違った視点でこの2体のクジラを見ていたのでそちらを記録させて下さい。
博物館の入り口前にこの標本が展示されているのですが、到着してすぐに『出来るだけクジラ全体が納まるように』、と遠巻きにカメラで撮影している私の横で
「あ、これ、1体は歯クジラなんだね~。」と息子が言うんです。
私は視力が弱いからか、出来るだけ全体を見ようとしてしまいがちですが、
でもその横で息子が一番最初に気になったのは↓
こんな風に手前の「マッコ」に歯がある事だったのです。
(奥の「ナガスケ」はヒゲクジラの仲間なのでマッコの様な歯は無いそうです。)
細かい部分に気がつく良い点として伸ばしてやれたらいいな、と改めて思いました。
カッシーニのグランドフィナーレ
そしてこの日は土星探査機『カッシーニ』が土星に突入し、その役目を終える日でした。
帰宅してひと息つき、インターネットでNASAのライブ映像を見た頃には既に突入後だった(T_T)のですが、最後に衛星エンケラドスを見つめながら土星へ降り立ったそうですね。
息子にその事を伝えると
「今度は土星とカッシーニのレプリカを作りたいね。」と言っていました。
息子が宇宙に興味を持ちはじめた頃は太陽系の惑星が特に好きで、その中でも当時は土星が一番好きでした。
私とは
「どの衛星が一番魅力的か?」
とよく議論になる事もあり、ミマス派の息子とエンケラドス派の私であーだこーだと言い合った楽しい記憶があります。
カッシーニとそれを支えた技術者のみなさん、本当にたくさんの発見と素晴らしい旅を見せてくれてありがとう。