ぎゅっぎゅっ、な毎日?

『ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記』(http://let-me-pick-you-up.hatenablog.com/)から派生した今現在の我が家の日記です。

言葉を紡ぐ事が難しい

本年もよろしくお願いしますm(_ _)m

新しい年があけてもう早くも半月以上過ぎてしまいましたが、皆さまは良いお年をお迎えになられましたでしょうか?

 

我が家ではこの新年はつつがなく家族団らんの時間を過ごす事が出来て何よりでした。

そして早くも学校は始まり、あと2ヶ月ちょっとで進級との事です・・・ホントに月日が経つのは早いですネ(^^;

 

昨年は夏休み後すぐに不登校になってしまいましたので今回は慎重に様子を見守り、息子のSOSを逃さない様にと思っています。

ですので学校へはボチボチ・・・といった感じで登校させていただいています。

 

 

 

書けない・・・

新年あけてすぐに2017年を振り返る記事を書きたいと思っていたのですが、年末年始の忙しさ・・・というよりも心境を言葉に練り上げる事の難しさや辛さに直面しています。

 

昨年は息子が不登校になってしまい、

不登校ぐらい何でもないこと。そういう時だってあるもの。』

と対外的にも自分自身にもそう思い込もうとしていた部分が確かにありました。

 

というのも不登校が始まった頃の息子の精神状態の酷い状態といったら・・・。

毎日朝から晩までずっと一緒に過ごしてみると、成り立たない会話やら不眠やら

『これは学校へ通っていては到底立て直す事は出来ないだろう。』

というのが率直な感想でした。

 

脳内の状態が無茶苦茶。

『これは何としても私の責任で元の状態にまで連れて行かなくちゃいけない。』

 

そうした思いと、

『でも本当にそんな事が出来るのかどうか。』

という不安の日々でした。

 

 

まずは体調面を復調させる事を優先し、手探りで良いと思われる事を全て試し、病院や療育先も新たに探し・・・手あたり次第出来る事を進めていきました。

 

そして体調面が少し上向きになった所で学校や教育委員会といった周辺環境へ改めてアプローチを進めていき、改めてご理解やご協力を仰ぎ、無事不登校の解消へと至ったのでした。

 

ただ、私自身は対外的には強気な姿勢を貫いた分、また息子が学校に戻れる様になって少し力が抜けてしまいました。

 

 

正直、疲れすぎました(笑)

 

 

でもこの経験はいつか必ず記録させていただきたいと思っています。

後々同じような経験をされるかもしれない方の為にも、又、息子が同じような状況に陥った時の為にも必ず書き残さなくちゃいけないと思っていますので。

 

それがいつの日なのかはお示し出来ませんが、いつか書く機会があればお読み頂けると幸いです。

 

 

 

弱点克服の為に

(1)「嫌だ。」とか「やりたくない。」といった事を言える様に。

「イヤだ。」これだけだと周りの人からみれば単なるわがままにしか見えないのですが、本人には本人なりの理由があるんですよね。それをきちんと私以外の他人にわかってもらえる様に伝えるスキルをつけてやりたいのです。

 

例えば苗の摘心はその植物の為に行う事ですが、わかっていてもハサミで刈り込む事が息子には辛かったりします。

なのでこうした場合は例えば『髪の毛を切るのと同じだよ』とか『切った方と切らなかった方を比べてみる』といった本人の理解を深める様な働きかけをしていくと良いのかも?と周囲の人に気付いてもらえる様になれればいいなと思うんです。

 

 

別の例ですが、スーパーに買い物に行った際に店内に通りたくない場所がある時があります。それば魚の3枚おろしの方法を写真付きで説明してあるポスターがある場合なんかです。

ずっとその理由がわからなかった頃はわがままに振り回される思いしかなくて・・・『こちらの思いにも気付いてほしいなぁ』と率直に思ったりもしました。*1が、もし

「魚が可哀想だから前を通りたくない。」

と言葉にする事が出来れば、聞いた人の中には納得してくれる方もいるんじゃないかなと思うんです。

 

こうした感情言語化し、対外的に伝えていく練習こそが不登校などのSOSの発信に繋がると思いますので、SOSの発信能力を高める為にも今年からは一層意識して訓練してやりたいなと思っています。

 

 

 

(2)『早い者勝ち』がある中でも混乱せずに順番を待つ

順番待ちについては4歳頃にある工夫をして理解を深めた事がありました。

それで出来る様になったと思っていたのですが、『早い者勝ち』というルールがある場合や大勢すぎて肌身の接触が多くなった場合には混乱がおきる様なのです。

 

順番待ちについてもまた改めて取り組んでいきたいなと思います。

 

 

 (3)やっぱり・・・反語がわかっていなかった

これは自閉症の方には本当によくある”あるある”なのですが、ウチの子もやっぱり

「大丈夫?」

とか、

「寒くない?」

といった口頭での疑問の会話の意味がずっとわかっていなかった様です。

 

だから

「大丈夫?」

と聞かれても、

「大丈夫!(に決まっているよね。)」

といった様な、息子を言いくるめる様な言われ方だと感じていたらしく、大丈夫じゃなくても反論しにくい気持ちになっていたらしいのです。

 

同じ様に

「寒くない?」

と聞かれても

『えーーー、寒いのになんで勝手に”寒くない!”って言い切るんだよ・・・!!』

と思っても中々言い出せなくてモジモジしていたそうです(笑)

 

会話のイントネーションに気付かせていく様に教えていきたいなと思います。

 

 

 

又、上記と類似事項かなと思いますが比喩的な表現で、例えば

”口をきく”と書かれてあった場合

→聞く/利く

という同音異義語の違いにまだ気付けていない部分があって

「口では聞けないョ・・・。」

と困っていた事がありました。

 

今年は去年から取り組んでいる同音異義語への理解を一層深めてやりたいです(^-^;

 

 

 

 (4)学校以外の価値観にも目を向ける

そして最後に今年一番頑張りたいのがこの目標です。

 

今いるコミュニティが全てではなく、新しい事に挑戦してどんどん外へと向けてやりたいなと思っています。

そう、学校よりもっともっと外へ・・・。

 

例えば息子の好きな恐竜やら絶滅動物やら天体やらといった学問はおそらく義務教育の過程では学べないでしょう。でも息子はどうやら学校でそうした事が学べると期待していた分失望感が大きい様です。

 

ごく最近わかった事なのですが、旧版の絶滅動物の図鑑を読んでいた時、いつも息子は下記のページで手が止まるのです。

 

今は”パラケラテリウム”という名前に統一されたキリンの様なサイの様な生物が今から約3000万年程前にいたそうです。でも過去の研究で、それまで”インドリコテリウム”(↓の左上の赤丸)や”バルキテリウム”といった別の生き物として分けられていた動物が全てパラケラテリウム(↓の下段の赤丸)という名前に統一されたそうなんですね。

息子はそれがどうしても納得いかなくて、この絵を見る限り首の長さや大きさが全然違うのにどうして同種とされたのか・・・知りたくても理由がわからなくて困っていた様です。

 

そしてそれを私にうまく説明出来なくて、仕方なく何度もこのページを一緒に見る様に催促していた様なんです。

そんな事も推し量ってやる事が出来ず、今までは

「同種になったらしいよ。」

とだけ伝えておりました。

・・・息子が何に疑問を持っていたのかをうまく拾い上げてやれずにこれまで過ごしてきてしまった様です。f:id:let-me-pick-you-up:20180118192000j:plain

(『ニューワイド 学研の図鑑 大昔の動物』2010年4月28日 第4刷発行 発行所:学研教育出版 P.95より)※典拠元の明記漏れにて後日上記に図鑑の名称等を追記しました。お読み下さった方にははっきりした情報元をご提示できなくて申し訳ございませんでした。

 

 

でもつい先日少しゆっくりとした時間の中でまたこの本を手に取る事があり、

「インドリコテリウムとパラケラテリウムは全然違う。」

とこの絵を指差して絶対に食い下がらない事がありました。

 

その時ようやく・・・私が気付けました。

「あ、もしかしてこの絵ではこの2体は全然違うのにどうして同じ名前になったのかがわからないって事を言いたいの!?」

と息子に聞くと

「うん、そう!」

と。

 

 

↓ちなみにウィキペディアさんで調べさせていただくと

パラケラテリウム - Wikipedia

こちらのページでは・・・

つまり”性的二型”(性差により見た目や形状が異なること)の差では?という説が今では主流の様子。現在では復元イラストも統一されているそうなんです。

 

こうした事を早速息子に伝えるとともに、学校では絶滅動物は学べなくても性的二型の概念といった一般的な知識を学んでいけたらいいのかなと何となくこの時思いました。

わからない事は積極的に自分で調べていく方法を教えていきたいなと思います(*^^*)

 

 

 

 

 

長々とすみません。

今年の我が家の目標でしたm(_ _)m

 

*1:その当時は本当に理由がわからなくて『???』という気持ちしかありませんでしたが、息子の目を追ううちに『あぁ、あれかな・・・。』という気付きに変わっていきました。

 

そして息子の言葉が発達した5歳頃に

「魚が切られてて可哀想だから通りたくないんでしょ?」

と聞いてみたんです。すると

「よくわかるね、そうだよ。」

と返事がありました。

 

1~2歳の頃にスーパーで大泣きされて困った一つにはこうした理由があったのかな?と今では懐かしく思います。