不登校のきっかけ、理由1(聴覚理解の困難さと口頭指示の相性の悪さ)
何日も考えての事ですが、心を決めました。
どこまで書けるかわかりませんが、小学校1年生の息子がたった半年で不登校になった経緯を記録したいと思います。
今ここで全てを語る事が正しい事かどうかはわかりません。
むしろ息子を知る人がこれを読めば、息子の立場は益々窮地へと追い込まれるかもしれません。
それでもお話ししようと決めたのは、息子の無念を晴らしたいからとか、悔しさからとかそういったこちらサイドの都合ではなく、もしこの記事をUPする事でこの四月から新しい歩みを始められる方、或いは今既に同じ境遇にあるお子さん達へのサポートの目がもっともっと広がって欲しいと願い止まない気持ちからです。
残念ながら我が家の置かれた環境では・・・もうこれ以上私たち親だけの力では変える事が出来そうにありません。
しかしこれを読まれた方が、
『ひょっとして・・・うちの子は大丈夫かしら?』
とか
『あれ、知っているあの子の困りと似ているかも?』
なんて気付いていただけるきっかけになればと思います。
これ以上・・・子ども達が辛い思いを一人で抱える事にならぬ様、誰か一人でも良いからわかってくれる大人の方を増やしたい思いでUPします。
子どもの目線に立って。
夏休みが終わった頃から息子の登校渋りが始まりました。
学校での出来事を上手く言葉を紡げない息子。
しかし非常に断片的で途切れ途切れではありましたが・・・語られるその様子からはこれ以上看過できない状況の様でした。
ある日、私は意を決し、学校の様子を塀の外から聞き耳を立ててみる事にしました。
ちょうど運動会の為に全校生徒揃っての外での練習風景。。。
大音量のBGMやマイク音量、時間内に終えなくちゃいけないのでやたらと急かされる状況、怒号・・・息子にとって厳しい環境である事がすぐにわかりました。
『こりゃマズイ・・・。』
その日から程なくして私は息子の学校に付き添う事になりました。
「お母さん・・・学校に行きたくない。」
そう息子が言い出したのです。
「わかった。じゃあ休もうか。それともお母さんも一緒にいってみようか?」
確か何日か休みを挟んだ後、同伴登校を提案したところ息子も納得したのでついていく事にしました。
どうやら息子にとって大変な事態というものは何も運動会の練習に限った事ではなかった様でした。だから普段の授業も見せて頂く必要がありました。
そう、そしてやはりそこで見た限りでは
『さもありなん・・・。』
と、予測していた状況だったのでした。
それを他人に何とか伝える為に、私はイラストを描きました。
今回はそちらを下記に添付していきますね。
<聞く事の困難さについて>
教室では反語や~じゃないの文、『ダメ!』の多用をすぐに感じました。入学前に息子の事を詳しく記したサポートブックをお渡ししたのですが、その中に記載しただけではわかりにくかったのだろうな・・・と思います。
又、実際の授業風景も見させていただきましたが、
非常に口頭指示が複雑で長いと感じました。授業の中の目まぐるしい動き、先の読めない不安感から、実際の息子は↑のイラストの右下の子の様な焦り感を表現出来ず、教室から飛び出して廊下でのたうち回ったり先生が説得する様な話し方も聞き入れられない様子でした。
もしその場で指示をしていただくとすれば口頭ではなくてやる事を黒板に板書していただく、或いはあらかじめ今日やる流れをプリントにしておいていただくなど、授業の流れが視覚的にわかる支援をなんとかいただけると助かるなぁとこの時痛感しました。
例えば国語の授業ですと何度も音読をする場面があるのですが、音読にも色々なスタイルがある様でして、目的別に全体で音読したり、文の始めから○まで読むとか、段落ごとにといったルールが日によって違ったりする様です。
そうした読み方の違いに例えば「音読1」(全員で読みましょう)「音読2」(○までで次の人に交代して読みましょう)「音読3」(段落ごとに交代して読みましょう)
等と最初にルールを見える化してご提示いただくと本人の見通しや予測が立てやすくなるのかなと思います。
1年生だからまだ文字が読めないという事もあり聴覚指示がほとんどの授業への大きな不安感がきっかけとなり、息子の自己肯定感は最低レベルまで引き下がってしまっていました。
教科書に書かれた内容は理解出来るのに、授業で言われる内容が全くわからない・・・この事が原因かなと思います。
こうして息子の聴覚過敏・皮膚感覚の過敏さは頂点に達していました。少しの接触も辛く、この頃からイヤーマフも利用する様になってしまいました。
長くなりましたので次に続けさせて下さい。
明日は初めての事への不安感と対処について書きたいと思っています。