ぎゅっぎゅっ、な毎日?

『ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記』(http://let-me-pick-you-up.hatenablog.com/)から派生した今現在の我が家の日記です。

大切な事 ~負の感情を発露させる作業~

今日は久々に泣き疲れて寝てしまった息子くん。

今日あった一連の出来事を思うとちょっとした記念日の様な気分です。折角だから今日あった事を記録しておきたいと思います。

 

 

押し殺した感情

最近の息子の様子といえば学校の授業や先生・お友達の事にはそれなりに満足している様に見えていました。実際学校から帰ると学校で教わった事やその日あった出来事を楽しそうにいくつか話してくれる事もあり、詳細はわからないまでも『先生方がうまく支えて下さっているんだろうなぁ、良かった』と安堵していたのでした。

ところがここ1週間程・・・どうも朝の準備が進まないのです。

朝ごはんに30分程かかる事もあり、それ以降の準備もどれだけ促しても動きが鈍い・・・

 

何かあるな・・・とは思っていました。

 

登校班で何かあったのかな?とか、雨の日は苦手なのかな?と推測するものの、本人からの聞き取りやお友達にそれとなく様子を聞いてもあまり原因らしきものがわかりませんでした。

 

というか、学校の事は勉強が難しくなってきていたり音楽が苦手だったりという事は多少あるとしてもそれなりに満足している様子しか伝わってきません。

 

そんな折、とうとう今朝は朝食に1時間以上かかってしまい、マズイな・・・と感じました。これはもっともっと根深い何かを無理矢理にでも吐き出させる必要があると直感ですが思い至りました。

 

 

帰宅後に詰め寄ってみた結果・・・

学校から戻っていつもの様に今日の様子を聞きましたが、やっぱりこれといった原因はみつかりませんでした。

そこで

「今ね、心に抱えている嫌な事を全部言ってごらん。学校の事だけじゃなくてお母さんの悪口でもいいし、何でも構わない。絶対に怒らないから一つ一つ言ってみてよ。」

と伝えてみると

「言ってもいいの?」

と何度も何度も念を押してきました。

 

そしてぽつりぽつりといくつか心にかかる事を伝えてきました。

例えば

・逆上がりが出来なくてくやしい

・みんなは鍵盤ハーモニカが上手なんだけどボクは全然出来ない

・給食が食べられなくて辛い

うんうん、どれも心当たりのある事ばかりでした。一つ一つクリアしていけるように支えてやりたい事ばかりです。

 

でも多分そうじゃない、ここに挙げたもの以外にまだある。だってこれらはもうずっと前からわかっている事。心に占める割合としてはそこまで大きいものではなく、ここ最近の様子に繋がる事ではないだろう・・・。

そう確信した私は

「まだ言えていない事があるでしょ?」

と問い詰めました。すると

「うん。これが一番大きな事。本当に言っていいの?」

と最後の念押し。ここまででざっと1時間以上かかりました。

 

じっと息子の言葉を待っていると

「そろそろ学校で水泳が始まるよね。ボクね、4年近くスイミングに通っているのにまだクロール出来ないんだよ。みんなはボクより遅く始めているのにすぐにボクを追い抜いて進級していくんだよ!」

そう言いながら大号泣。

 

息子がスイミングスクールに通いだしたのは幼稚園年少の頃からで3年半以上になりますがお世辞にも上手とは言えないかもしれません。それに確かに運動が得意なお子さんなどは後から入ってもどんどん進級して追い抜いていきます。

今のスイミングスクールはかなり上手なお子さんばかり集まるスクールなので取り残される印象が強まってしまったのかもしれません。

 

「そっか。水泳が本当に好きなんだね。バタフライとかカッコいいから泳いでみたかったんだね。それなら別のスクールに行ってみない?もう少し少人数で進めてくれる所を探してみようよ。」

と伝えました。

息子は一度始めた事を修正しにくい特性があり、それがこの変更を拒んでいる様でした。

「一度辞めても別の所でもう少し上手になったらまたこのスクールに戻らせてもらえばいいんじゃないかな?歯医者さんだって最初の病院より今の病院の方がずっとずっと楽でしょ?変える事は悪い事ではないのよ。」

とダメ元で伝え、周辺に他にも4校程スイミングスクールがある事を伝えました。

 

大泣きしてうまく言葉が出来ない様子でしたが、じっと聞いている様子がうかがえました。

だから最後に

「目標を立てようよ。この9月までにクロールらしき形にまで泳げる様に努力してみて、来年の学校の水泳学習では平泳ぎとか背泳まで出来る様に頑張ってみるってどう?」

と提案してみると

「頑張りたい。ボクだって泳げるようになりたいんだよ!」

と言っていました。

 

 

しばらく大泣きしてスッキリした頃、

「ねぇ、どうして今までそんな気持ちを言ってくれなかったの?」

と聞いてみると

「だってお母さん、すぐに水泳は辞めて違う事やってみたら?って言うからさ。水泳は辞めたくないけど別のスクールがあるって知らなかったし言えなかったんだよ。」

と。

 

・・・原因は私でしたか(>_<)

知らない間に追い詰めていたみたいでごめんね。これ以上習い事を増やすには体力の心配もあったし、4年近く習っているのに・・・という思いは私にもあったから別の習い事をやってみたいと言われる度にスイミングと天秤にかけてしまっていました。

しかしその態度では確かに子どもの真意も聞き取れていなかったし、別のスクールがあるという情報も与えてやれていなかった事に気付きました。

 

明日から周辺のスクールを見学してみようと約束し、収束に向かいました。

 

 

周りが見えてきた証拠

最近はこの様に周りのお友達の様子が見えてきて、自分の立ち位置が何となくわかる様になってきたからこそこうした悩みに突き当たり始めたのでしょうね。

 

逆に”ピンチはチャンス”ではないですが、周りが見えてきたからこそ自分の振舞いにも気付ける良い状態にはなってきているなとは思っていました。

だから今は”我慢すべき時を自分で考えて自分で気付ける様になっていこう”というテーマの強化月間かなぁと色々模索している所でした。

 

例えば”みんなと過ごす時は勝手に立ち歩きをしていいかどうか考えてみよう”、とか、”宿題は大変だけど先延ばしにして逃げたって結局はやらなくちゃいけないし、それなら逃げないで少し我慢してみたら後が楽だよね”といった事について本人が納得できるポイントを模索しながら対応している所でした。

 

でも今回の様に我慢しすぎて毎日が辛くなる位なら誰かに聞いてもらって解決の道を探す事も大切な事なんだと理解して欲しかったのです。

 

 

私も同じタイプだから息子の気持ちが良くわかる。

ネガティブな感情の吐き出し方がわからなくて腹痛を起こしては学校を早退してました・・・。 だから同じ年頃の当時、そういえば母に同じ様に気持ちの聞き取りをしてもらった事を思い出しました。

 

負の感情を吐き出した息子はスッキリした顔立ちに戻っていました。

明日からは朝から元気に過ごせると良いなと思います。

 

 

いくつかの再挑戦(原始反射残存の見極め編)

~文字がマスに収まりにくい~

ある日子どもの漢字の宿題の様子を見ていますと、アレ?と思う事がありました。マス目をあまり意識出来ていない様な書き方をするんですね。(要するにはみ出しまくりって事です(^^;))

「もうちょっとマス目に収まる様に書いてみたら?」

とは促したのですがどうも書きにくそうです。

 

そんな様子を見ているうちに、そういえばずっと試したいけどなかなか出来なかった事を思い出しました。

 

発達関連を気にされている方なら一度はお聞きになられた事もあるかもしれませんが

”原始反射の残存”

を確かめてみたいとこの時思ったのです。

 

原始反射とは赤ちゃんがどうやら母体にいる頃から備わり始める反射機能だそうで、産後しばらくの間生きる為に必要な反応を反射機能として準備したもの、というのが私の中の認識なんですが、詳しくはWikipediaのこちらのリンク(『原始反射 - Wikipedia』)などをご覧いただけると幸いです。

 

こうした原始反射は前頭葉などの脳の発達に伴って少しづつこうした反射反応がなくなっていくそうです。脳の発達によって別の機能を獲得する事によりこうした反応が抑制される、という事だそうです。

 

~見極めにはそれなりに言語指示が必要かも~

で、ですね・・・

難しい事ばかりではわかりにくいと思うので、結論を。

ウチの息子のマス目に文字が収まらないのは原始反射の中でも”モロ反射”が残っているのでは?と考えました。

モロ反射は赤ちゃんが大声に驚いたり高いところから落とされそうになった時に両手を広げて上げてしまうポーズをとる反射です。ちょっとアリクイの威嚇ポーズに似てるアレです(笑)

 

そこで確かめた結果・・・やっぱりまだ薄っすらと残ってそうだ、という印象です。

 

どうしてモロ反射が残っていると書字を制御する力が弱いのか・・・?と疑問に思ったりする訳ですが、それと同時にひょっとすると他の原始反射の残存も感覚の凸凹さや生き辛さに繋がっていたりしないかな?と考えた訳なんです。

 

そうした経緯で他にもたくさんある原始反射について確認と改善を進めています、という主旨の内容を詳しく書き残したかったのです。

 

・・・が、ちょっと私自身が只今のっぴきならない事情であまりブログに時間を割けない状態でして(^^;)そちらがひと段落したら対応内容についても記録していきたいと思います。

 

という事で今回は原始反射の残存を意識し始めた経緯と”モロ反射”が残っていそうな事に気付いたよ、というお話でございました。

 

 

いくつかの再挑戦(専門の歯科探し編)

奥歯にぽっかりと穴が・・・

いくつかの再挑戦シリーズの続きを書かせて下さいね。 

(2)発達障がいの子どもを受け入れてくれる歯科探し

という事ですが、約1年前の事・・・ 

let-me-pick-you-up-d.hatenablog.com

↑でお話しさせていただいた通り、当時定期的に通っていた歯科で軽い虫歯の治療を受けた事を書かせていただきました。

 

その時は暴れながらも無理矢理治療し終えたという感じだったのですが・・・やっぱり無理矢理はダメですネ(T_T)予後が悪すぎました・・・

「ボクは痛いって言っているのに”痛くないでしょ!”ってウソつく先生は嫌い。もう行かない。」

 

その後不登校に陥ってしまった為に更に家から出たがらなかった事もあり・・・仕方なく念入りに歯磨きをして様子を見ていたのでした。

 

子どもが不登校の間、私は家事と教育で日中は息子にかかりっきりだったので朝晩の身支度は夫に任せっきりだった事もあったのですが、ある日久々に息子の歯磨きの仕上げをしようと寝かせてみると・・・奥歯にぽっかりと穴が(;´Д`)ウソォ・・・

 

「ねぇ、奥歯痛くないの?」

と息子に聞くと

「春くらいから痛いなぁと思っていた。」

と。意外と見えない箇所は鈍麻なのかもしれません(T_T)

 

 

そこで今度こそは発達障がいに理解があり、積極的に受け入れをして下さる歯科医を探す事に。数年前とは違ってネットで検索すると案外複数ヒットするので驚きました。時代は変わりつつあるんですネ。

 

その中でも自宅から近く、HPの情報も適切そうな病院に連絡したところ快く受け入れて下さいましたので早速息子を連れて行きました。

 

 

良いな、と思った点は沢山ありますが

・息子への説明時間をしっかりととって下さる点。

・ゆっくり時間をかけて器具などの説明や体験をして下さる点。

・日常生活や食生活を一緒に見直して下さって、より虫歯を繰り返さない対策を考えて下さる点。

 

特に最後の食生活については私自身先生とお話しする中で虫歯に直結しそうな思い当たる節がいくつか思い浮かび*1、早速改善に向けて動く事が出来た点がとてもありがたいと思っています。

 

結局奥歯だけでなく全部で8本も虫歯がありまして・・・只今治療中です(^^;)

でも今のところ順調です('◇')ゞ

残すところあの一番大きな奥歯の穴・・・これはちょっと大変そうなのでがんばってあと少し通いたいと思います。

*1:

(1)1回の食事に時間がかかりすぎて、歯が長時間食品に触れている状態になってしまっている。

(2)虫歯になりやすい様な甘い食品を摂取する習慣があるかどうか?の確認で朝食にフェニルアラニンを採らせたくてピーナッツバターサンドしたパンを毎日出していた事に気付けました。

7歳。相手の顔色がわかっちゃうんだね。

 

いくつかの再挑戦という前回記事の続きを書きたいところですが、ごく最近息子に少し驚かされた事を記録しておきたいと思います。

 

いつもお読み下さっている方はご存知かと思いますが7歳の息子には発達障がいがありまして、自閉度も中程度・・・という事なんですね。『100人いれば100通り』と言われる自閉っ子達ですが、この子の一番の特徴を語るなら、息子にとって一番大きな困難さはきっと感覚の凸凹さなのだろうなぁと思っています。

だからもしそうした感覚器官から受け取る情報を正しく処理できるようになれば自閉的な辛さは大幅に緩和されるんじゃないかなぁ・・・なんて淡い期待を持ちつつ様々なアプローチを重ねている日々です。

 

ですから今回のタイトルにある様な”顔色をみる”事も、そうしたアプローチが功を奏せばいつかわかる子になるんじゃないかな?なんて思っていました。対面した全員は無理でも・・・ごくごく親しい人の顔色くらいわかればと対人スキルとしては申し分ないと私なんかは思うんですよね。

 

 

それで、えーーっと、、、話は変わりますが我が家はただいま夫婦仲がボロボロでして(笑)家庭内がなかなか冷たい感じです。夫の帰りが遅いのであまり夫婦で話している所を子どもが見る事はなく、そういった意味では私自身は油断していました。

子どもの前では一応いつも通りに笑顔で振舞っているつもりなのですが、見ていない所ではかなり負のオーラをまき散らしていたのかも・・・?と今更気付きました。

 

というのもお風呂上りに息子と談笑していた時の事。

息子が突然

「お母さん、最近笑えてないけど大丈夫?」

と聞いてきたんですよね。

 

Σ( ̄▽ ̄ノ)ノえっ!

ずっと見てたの?って感じです。

夫とうまくいっていないとはまだ気付いていない様子ですが、それも時間の問題かも。気をつけなくちゃいけませんね。子どもって・・・すごい。

 

 

↓メインブログで書きましたが、3歳頃にまずは”喜怒哀楽”という表情について教えてみた事がありました。

let-me-pick-you-up.hatenablog.com

あれからもう4年経つんですね。

息子はごくごく親しい間柄であれば普段と違う表情なども察知できる様になっていた様です。

 

 

夫婦の事は詳細までは書けませんしこれからどうなるかもわかりませんが・・・まぁ、私が子どもを優先させすぎたのかもしれませんし、夫も家族としての在り方と仕事との両立に悩んでいたのかもしれませんし。

 

どちらにせよ表情がわかるようになった以上は尚一層子どもに対しての心配りが必要だなぁと思いました。それは子どもを優先させる意味じゃなくて、大人として子どもに余計な心配をさせてはいけないという配慮からです。

いくつかの再挑戦(足指の変形編)

おかげ様で学校に楽しく通えている息子くん。

(困難な事は色々あるとは思いますが、これ以上ない程手を尽くしていただいておりますのできっと大丈夫。)

 

そこで少し状態が安定するまで避けてきた家庭内での取り組みにいくつか挑戦中です。

真っ先に取り組んだのは以下4つ。

(1)足の指の変形

(2)発達障がいの子どもを受け入れてくれる歯科探し

(3)原始反射残存の見極めと対応

(4)書字の訓練

 

 

長くなりそうなので一記事に一つづつ書かせて下さいね。

 

(1)足の指の変形

この件は以前↓過去記事でご紹介させていただいたのですが、

好きな靴に執着しすぎて足指が変形してきてしまった、という内容のお話しをさせていただきました。

でも本当にそれだけかなぁ・・・と思うに至り指の変形の原因を突き止めようと模索しています。

 

 

最初に整形外科でレントゲン撮影をしていただいたのですが、腫瘍などはなく成長中にはよくある事かなぁ・・・という事でした。

「このまま様子をみて、もう少し聞き分けが良くなったらテーピングなんかで固定してあげてみて?」

との事。

しかしあまり待ってはいられません。やはり体重が増えるにつれ痛みがどんどん増していく様子でした。

 

 

そこでテーピングでの固定を2週間程試みました。

・・・確かに痛みは緩和される様です。しかし変形自体はあまり変化がない様子でした。

 

・・ 

・・・う~ん・・・なんか違う。

もっとこう、何ていうか・・・要はボディパーツの使い方なんですよね(^^;)

 

そこで足の指で毛糸を掴む遊びなどを取り入れて自分の体の限界を確かめさせたり

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もう少し地面を掴む感覚がありそうな靴に変えてみたりしています。

 

心なしか指の曲がりが少し穏やかになった様な気もしますし、本人が感じる痛みも楽になってきた様です。

 

 

(日々が落ち着き指示通りが良くなると色々な改善もしやすくなる事を実感中です。)

 

 

きっと来るいつかの為に。

今日はブログを始めた頃からいつか必ず書きたいと思っていた事を書き残させて下さい。但し少し暗い内容になるかもしれませんし、かなりの長文になると思います。これは直接息子に関係ない事ですのでご興味のない方はスルーしていただけると幸いです。

 

 

先立つ準備

 先日の記事(生クリームが苦手だった私)では大変お恥ずかしいのですが母のスパルタな躾をお話しさせていただきました。でも実はこのかなり厳しい躾には理由があったのです。今日はそこから学んだ事を記録させて下さい。

 

母は私や弟が未就学の頃から頻発する頭痛に悩まされておりました。その痛みは鎮痛剤を飲んでも全く効かない程の痛みだったそうです。方々の病院でいくつも検査いただいたそうですが当時の技術では病変が見つからず、結局疲れだとかストレスという事で安静に過ごす様に指示されるだけでした。

しかし痛みは時に耐え難く、母はいつも苦痛を浮かべた形相をしていました。そういえば寝込む事だって良くありました。

そんな調子でしたので、今になって振り返ってみると私たち姉弟の躾は専ら一方的に叱られるという方法(しかも強い口調で一喝される事もしばしば)でした。子どもの気持ちに寄り添うとか辛い気持ちを共感したり時には諭したり慰めたりといった方法で接せられた記憶はありません。

きっとそれだけ毎日辛かったのだろうと思います。

 

しかしその間であっても母は厳しかったですけれどしっかりと家事全般を教えてくれました。特に私は女の子という事もあり、料理は小学生低学年の頃から教えてくれていたので高学年の頃には家族全員分の朝食や夕食を作っていました。

当時遊びたい盛りだった私は

「お母さん、私にばっかり手伝わせてずるいよ。弟は何も手伝ってないじゃん。」

と反論する事もありましたが、

「弟はいいのよ、男の子だから。男の子だとそれなりに手に職つければ何とか食べていけるでしょ?あなたは料理だけでも覚えておくときっと役に立つと思うから教えているのよ。」

とお手伝いをさせる理由を教えてくれた事がありましたネ。

 

 

結局母の頭痛は激痛の強い時期や何とか耐えられる落ち着いた時期を繰り返しながら15年程経過した頃、やっと病巣が見つかりました。グリオーマという脳腫瘍でした。病巣が見つかりにくかったのは薄く平たく広がっていたらしく当時のCTやMRIでは捉えられなかったのだろうとの事でした。無事最初の手術を終えた当時、私は19歳になっていました。ほとんど躾を終えた頃、という事になりますね。

 

でも母にしてみれば今更というか『やっぱりあったかぁ』という心境だった様です。だって自分の身に大変な病変がある事をずっとわかっていたから。実は母、元看護師だったのです。だからこの只ならぬ痛みは・・・おそらく完治しない類のものだろう・・・と。

ただ見つからないだけなのだと覚悟していたからこそいつ死んでも構わない様に私たち姉弟に必要以上に厳しく、その分だけ親子間よりも姉弟間の方が仲良くなる様に仕向けた様でした。自分が死んでも姉弟で仲良く支え合って欲しいと願い、そして各々には出来るだけ早く色々な技術や知識を伝えておこうと考えていたのでしょう。

 

母の口から後日談

その後、私が無事大学を卒業し就労で実家から独立して以後、たまに実家に帰ると母が私や弟を育ててきた時の心境をいくつか話してくれる様になりました。その中でもとても印象に残っている話がありました。

「とにかく育てるのに必死だった。私の実家は遠く親に頼れない育児の中でいつも頭がガンガンと割れる様に痛くて、あなた達が悪い事をしたら叱ってやめさせるしかなかった。大変だったのよ。」

と。

 

つまり育児とは誰かの助けが必要で、しかも自分の体が元気でなければなかなか思う通りには出来ないものなんだなぁ・・・とこの時思いましたね。

 

それから、

「でもね、こうしてあなたが一人で生きていく事が出来る様になってくれてホッとしているのよ。」

とも言っていました。

 

私も親になり、今になってこの”一人で生きていく事が出来る様になってくれてホッとしている”という意味が良くわかるんです。

 

 

真の自立を目指して

発達障がいで中程度の自閉度がある息子ですが、おそらく成長すれば定型の方々と同じ様な環境へ就労するなどして社会へ出ていく事になるかな?と思いますし、そうなればいいなと思い今精一杯自分に出来る事を彼に与えているつもりです。

 

でも・・・いつまでもこの子の手をひいてはやれない。いつか私や夫は息子を置いて旅立たなくちゃいけない日がくるでしょう。そう、あの日の私の母の様にです。

 

欲を言えば、出来れば息子には私が元気なうちに自分の目指す世界へ飛び出して欲しいなぁと思っています。もし頑張りすぎて疲れてしまった時はしばらくの間はこの家で待っていてやりたいですから。そしてもっともっと欲を言えば孫のお世話くらいしてから旅立てればいいなぁ~なんて。(要は私がコツコツ書き溜めているメインとこのサブブログを息子が読まなくても良い状態である事を望みます。)

 

きっとこの辺りの心情は多くの親御さんの思いと同じですよね。

 

その為には、私たち家族じゃなくちゃ信用出来ないというのでは非常にマズくてですね、例えば保育園や幼稚園、或いは学校の先生と親しい関係を築けたり誰か一人で構わないので友人関係を築いていく経験を少しづつ積み重ねていって欲しいと思っています。私たちがいなくても同じ思いの人達と幸せに生きていける子になってくれたら・・・というのが私の願いです。

 

そうした経緯もあって、今年は息子がしっかりと学校に通えている事に安堵していますし、私も先生方に甘えてばかりおらず、しっかりとこの子の自立に向けて課題をクリアしていける様にまた頑張ろうと思っています。

 

ちなみに私の母は弟が幼稚園の頃に強い激痛に見舞われたらしく、どうもその際に死を覚悟したそうです。その時の事を振り返って

「あなたはしっかりしてたからお母さんがいなくても大丈夫だろうと思えたけど、弟はまだまだお父さん一人じゃ無理だと思ったわ。仕方がないから良く懐いている幼稚園の担任の先生に全てをお願いしようと本気で思っていたわよ(笑)。」

なんて思ったそうです。

 

私は古典文学が好きなのであちこちでちょくちょく引用してしまいますが、幼くして親を失う心境としては有名な伊勢物語のシーンを思い出します。その時の在原業平の言葉を借りますと、

『世の中に去らぬ別れのなくもがな 千代もと祈る人の子のため』

(世の中に避けられない別れ(=死別)などなければ良いのに・・・ 千年も生きて欲しいと祈る子の為に。)

※高校生の時に覚えたっきりなので間違っていたらお許しを<(_ _*)>

 

母が他界した当時、私は既に成人しておりましたので業平よりは随分マシな境遇ではありましたが、それでもやはり業平と同じ様な思いに駆られ『自分の寿命を5年あげるから母にあと1年分け与えて下さい』と何度も何度も願ったのでした。結局願いは叶わず・・・当時の心痛は筆舌に尽くしがたく回復するのに何年もかかってしまいました。

あんなに厳しかった母でもやはり私にとって大切な存在であったという事なのです。今でももし生きてくれていたら息子の成長を真っ先に楽しんでくれていたのではないでしょうか。

 

 

だから今はまだ・・・息子に私と同じ思いをさせたくはないですので私も夫もまだまだ頑張らなくちゃいけませんね。そしてそれと同時に母が教えてくれた様に誰かと助け合いながらも自立して生きていける術を一つ一つ丁寧に教えていきたいな・・・、というのが私の育児の根底にある事なのでした。

 

 

生クリームが苦手だった私

※以前書かせていただいた『マイノリティの心の傷』という記事は熟考の上非公開に戻させていただきました。ちょっと批判的な気持ちが強い時期に書いたので息子がまた学校に行けるようになった今となっては誰かを不用意に傷付けてしまうのも心苦しく・・・。といっても同じような境遇の方の気持ちを代わりに伝えたい気持ちもどこかにはございます。だからもしご要望がある様でしたら少し内容を再考した上でUPさせていただこうと思います。

 

今日は閑話休題、という事で私自身が苦手な食べ物を克服していった過去の記憶を少しだけ記録させて下さい。

”嫌いな理由って案外人それぞれだったりするよね?”とか”苦手じゃなくなる時ってある日突然だったりするよね”なんて事を書きたいなと思います。

 

 

唯一克服出来なかったのが・・・生クリームでした

私が苦手だった事なんて本当はどうでも良い事かなと思いますが、大人になると色々な事が簡単に出来る様になってしまい、出来なかった頃の苦しみなんて忘れてしまいがちになってしまうなぁと日々感じています。

 

でも誰しも幼い頃にきっと一つや二つはどうしても避けたい苦手な事ってあったと思うのです。それをどのように乗り越えたのか?或いはうまく折り合いをつけられたのか?どう克服していったか?そんな過程を今日は思い出して記録しておきたいと思います。

 

 

私は食に関しては・・・幼い頃は実はけっこう手がかかったかもしれません。(といっても絶対にウチの息子よりはマシだと思います。あくまでもよくある好き嫌いの程度とお考え下さい。)

 

まず、味覚に関しては幼い頃から好き嫌いなく殆どの食品を好意的にとらえていました。ただし私も息子と同じかもしれませんが食感・・・と言いますか噛み応えの部分で辛かった体験がいくつかあります。

 

 

(1)イカが怖い・・・

まずは食感としてコリコリと感じる食品が好きだった事が逆に仇となってしまった事がありました。

3~4歳の頃に新鮮なコリコリとした食感のイカのお刺身を食べたんですよね。あまりにも美味しかったのでうっかり

「これ大好き!また食べたい。」

と言ってしまい、その後気を良くした母がまさか食感でそんなに好みが異なるとは思わなかったのだとは思いますが、どちらかといえばちょっとねっとりとした品種(もしくは鮮度?)のイカの刺身を買ってくれた事があり、それが妙に喉に詰まりそうな恐怖感から2年ぐらいは食べられなくなった事がありました。

 

まだ歯が小さく、噛み切る事が難しかった思いと、喉に詰まりそうなむせ返る感覚とその際に強く感じる海独特の香りは今でも記憶に残ってしまっています・・・。

 

ちなみに体が大きくなってしまえばそんな恐怖を感じなくなりました。歯も体も大きくなり、イカが喉につまる感覚にはならないからです。確か小学生の高学年の頃にどちらのイカも大丈夫になったと記憶しています。

 

 

(2)恐怖の赤身肉・・・

それは幼稚園入園前の4歳頃の記憶です。

朝ごはんに昨晩のカレーが出たんですね。その日のカレーはゴロっとした赤身肉が入っていまして、それが・・・火が入れば入るほど硬くなってしまった様なんです。確か朝食を食べ始めて30分以上経過した朝の8時ごろでもまだ食べていて、

「お母さん、これ食べられないよ・・・。」

と泣きながら訴えたのですが何故か不機嫌な母は

「ダメだよ、食べきらなきゃ昼ご飯も晩御飯も抜き。」

と随分不機嫌な様子でした。*1

 

あまりに恐ろしい母の形相に渋々肉を噛み続け、気付けば夜の20時を超えていました。

 

途中

「無理、こんなの食べられないよ。もっと小さくしてくれれば食べられるから。味は好きだけど、もう噛んでも味がしないから小さくして何か味をつけて欲しい。」

と何度も懇願したのですがダメの一点張り。

 

結局泣きながら21時頃に飲み込み、そのまま泣きつかれて寝てしまいました。

 

書きながら思いましたが、これって今なら軽く虐待かもしれませんね(^^;)

今となれば2歳下の弟とたまに笑い話として話すくらいのネタ的な話になってしまっています。まぁ家族としては良い思い出ですが、結局赤身肉は10歳頃まで苦手な意識がずっとありましたので、私が子育てする時は絶対にこんな事だけばしないでおこうと思えた一件です。

(母としては肉は食べられる様にしてやりたかった思いが強かっただけなのだとは思います。)

 

 

(3)高校生になっても生クリームは苦手なままでした・・・

生クリームかぁ・・・

これが一番食べられる様になるまで時間がかかった食べ物でした(^^;)

 

スープやパン生地などに使われている分には問題なかったのですが、ケーキやパフェにトッピングなどに使われるホイップ状の生クリームが苦手でした。

 

生クリームって、別に食べなくても困りはしないので母親としてもあまり無理強いしませんでしたし、私も積極的に改善にむけて取り組んだ事はありませんでした。

 

確か高校生の頃友人と抹茶パフェを食べに行く事になり、

「生クリームがダメなんだ。誰か食べて?」

と友人達に依頼した記憶があります。

 

その時の会話の中で

「生クリームと植物性のホイップクリーム、どちらも食べられないの?」

と聞かれたので

「(植物性の)ホイップクリームなら食べられるよ。見た目で違いがわかる時は植物性の場合なら食べられるよ。」

(見た目の違いとして生クリームの方が気泡が小さいと言いますか。なめらかな仕上がりの時は生クリームかなと判断していた、という程度です。)

と答えたのですが、

「えー、食べても生クリームもホイップクリームも違いがわからないよ~。」

との返事にみんなで笑い合ったものです。

 

 

で、生クリームですが、結局大人になってから食べられる様になったんですよね。

そもそも生クリームの何が苦手かといえば

”食後に感じる上あごに膜がはりついた様なカバー感”

を感じてしまうからなんです。

(先程の友人との会話の中でもこの理由を話しましたが「え~、そんなのは感じた事がないよ。」とびっくりされてしまいました。)

 

おそらく生クリームの油脂が膜の様に口の中に広がるのかなと思います。それが大人になって解消された理由としては、おそらくケーキ等と一緒にコーヒーや紅茶などの温かい飲み物と一緒にいただく機会が増え、膜が溶けやすくなったからだと思うんです。

 

また、意識的に日常生活に運動を取り入れる様になった事もあり、体温が学生時代に比べれば0.3~0.4度程高くなった事も関係しているかもしれません。

 

不思議なもので一度解決方法がわかればあまり不快感を感じなくなり、今となっては子ども用のケーキ作りなどにも積極的に使える様にまでなりました。

 

 

 

 

という事で本日のまとめですが、何がきっかけで苦手を克服出来るかはわからないものなので、息子に対してもあまり苦手さを追い詰めるよりは時を待つのも良いかもしれないなぁと思って日々接しています、という話しでした。

*1:母の名誉のために追記させていただきますが、もしかしたら母はもうこの頃から死に至る病に侵され始めていたのかもしれません。体調が悪くていつもこうした対応をしていたのかなと今は思います。