ぎゅっぎゅっ、な毎日?

『ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記』(http://let-me-pick-you-up.hatenablog.com/)から派生した今現在の我が家の日記です。

絵に基底線(7歳10か月)

絵から成長を読み解く

息子を育てていく中で、何人か私淑する先生がいらっしゃいまして、その中でも今日は大橋功先生のまねっこを少しさせていただこうかなと思います。

 

メインブログの下記の↓記録の中で大橋先生の事をご紹介させていただいた事がありました。

let-me-pick-you-up.hatenablog.com

 

大橋先生は普段は岡山大学大学院の美術教育講座教授でいらっしゃるそうなのでなかなか直接お話しを聞く事は難しいのですが、私の住む地域では幸運にも年に1度先生のお話しをお聞きできる講座があるんですね。

 

先生のお話を聞くまでは、子どもが描いた絵から成長や発達を読み解く事が出来るなんて思いもよらず、子どもの絵に対する洞察や読み取り方は目からうろこなお話ばかり。

 

それだけでなく、子どもに対する向き合い方や接し方などは本当に穏やかで朗らかで明るくて優しい・・・いつかこんな人になれたらいいなと思わずにいられない、そんな素敵な先生です。

 

 

今日は先生の講座で以前教えていただいた内容で、最近の息子の絵を振り返ってみたいと思います。

 

 

頭足人と基底線が入り混じる

つい先日、お正月に手作り凧を作って凧あげをする機会がありました。

その時に描いた息子の絵が↓こちらなんです。

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じゃーん。

って、上手とか下手とか・・・あえて申しません(^^;)

下手でもこの子なりの成長がみられるポイントがたくさんあったのでピックアップしてみました(笑)

 

色が薄くて見えづらいので申し訳ないのですが、この絵には基底線といって絵の中の空間を区分けする線が描き込んであるんです。

 

そして中心のオレンジ色の丸い物体が息子なりの今年の干支、”イノシシ”の子どものうり坊なのですが、これも頭足人から少しだけ発展したような、丸い物体をイノシシに見立てて足や頭を付け足していく描き方なんですね。

 

わかりにくいので先ほどの絵に少し矢印などをくわえてみますね。

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画中のピンク色の3つが基底線など、空間を分けるために描いた線で、青色の丸で囲ってあるのが頭足人の様なイノシシです。

 

 

大橋先生のミニ講座の中で、基底線が出てくるとだいたい5歳の発達ラインと教えていただきました。そしてこの基底線を描き始めると”必ずあるものを描き始めるそうなのです。

 

そのあるものとは”空”です。

 

実はこの絵の中にも空があるんです。

真ん中のピンクの矢印で指した水色の線は息子が

「ここが空。」

と言いながら区切った線でした。

この基底線は”空と大地の中で、僕たちは生きている”という気付きなのだそうです。

なるほど、まさに今回は先生のお話しの通り、”空と大地”の基底線ですね。

 

こうして空と大地を意識しはじめると、自分や人間の大きさに気付くのだそうです。そうして絵の中に大小があらわれはじめる。

 

又、空を描き始めると”太陽”なんかも描き始めるそうです。

その場合は太陽は黄色か赤で描くとの事。

 

確かに!

実はこの絵の中にも太陽があるんです。

それがきみどり色の丸で囲った丸い物体なんです。

(本人は天体へのこだわりが強い為、太陽のオレンジ色はプロミネンスを表現し、中心はより赤く、更に核の部分は黒くしてみたそうです。)

 

 

***********

又、だいたい3歳頃のお子さんが絵を描く時にみられる本人の工夫として、頭足人という顔や胴体が全部くっついた丸い物体に手や足を付け足して描くものがあります。

 

この時に手足が付け足されるのは、子どもから普段見えている範囲と考えるとわかりやすいですよね。自分の体のパーツの中で手足って比較的見えやすい部分なので、こうした工夫がみられるそうなんです。(他にも顔を描く際に鼻はあまり描かない傾向にある等も教えていただきました。)

 

ですから息子の絵も(実年齢は7歳ですが)3歳~5歳程度までの認知をしていて、その結果としてこうした絵になったのだろうと思われます。

心の発達は遅れているかもしれませんが、ちゃんとこの子なりに成長しているんだなぁ・・・なんて思ってしまいました。

 

 

 

白い空間、白い絵の具

それでですね、先生の素敵なところはですね、

「大人は画用紙の白い部分が多いと塗りつぶそうとさせがちですが、そんな事はさせなくて良いんです。だって、今見えてる空気って色がありますか?子どもにしてみれば自分の周囲の空気は青くない。逆に子どもにしてみたら空気が青いなんて気持ちが悪い事かもしれませんよね。」

(数年前にお聞きした事なので先生のお言葉の詳細が少し違うかもしれませんが)確かこの様な事をおっしゃっていました。

 

何も色がない(背景が透明な)空間こそが子どもなりのリアリティなのだ、との事です。

 

 

又、これと同じことだと思うのですが、子どもは時に白い画用紙にわざわざ白い絵の具で塗り込む事があります。大人はそれを見ると

「えー、なんでわざわざ白い画用紙に白く塗るの?」

と思いがちですが、これも子どもの好きにさせて良いのだそうです。この子にしてみればそれがこの子の表現したい事ですものね。

 

 

 

***********

「子どもの絵に良し悪しは無く、全ての絵に子どもの学びや育ちがあり、まずは子どもの事に耳を傾けて全て受け入れてみる。」

 

「子どもに見てそれとわかる絵を描かせると無理があり、大人の方が子どもが表現した事を読み解いていく事が大事。子どもの今最大限に自分を活かそうと工夫している部分に気付いていく事が大切です。」

 

この様な事をおっしゃっていました。

 

 

***********

まだ幼稚園生だった頃の息子は言葉もまだまだ拙く、自分の心の中を表現しきる事なんげ難しい状態でした。

大橋先生のお話をうかがって、当時はあまり絵を描かない子でしたが、これは絵以外にも通じる事だなぁと率直に感じました。

 

以来息子が言葉以外の全身で表現しようとしている事や工夫・・・つまりノンバーバルコミュニケーションの部分をもっともっとしっかり見ていこうと考える様になるきっかけとなりました。

 

 

 

こうして振り返ってみると、また先生のお話を聞きたくなってきました(*^^*)

久しぶりの博物館 新しい仲間が増えてました♪

~ザットン登場~

昨年の息子を少し振り返りますと、興味の範囲が一層広がった感があった一年だったなぁと思います。

 

発達障がいの人って興味の範囲が狭くて深いイメージがありますが、息子の場合は広く浅くなタイプなのかもしれません。

 

という事で昨年は少し恐竜から離れ、

古生物→人類史→昆虫(主にカブトムシとクワガタ)→UMA(未確認生命体)

へと次々に興味が変遷していくという、何とも目まぐるしい一年でした。

 

が、やっぱり一周回ってこのところまた恐竜へと戻ってきました。

 

 

という事で久しぶりにお気に入りの博物館へ行ってみると・・・

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ザトウクジラは歯がないのでヒゲクジラの仲間との事です。

 

こちらは↓以前の記録でもお伝えした通り、

let-me-pick-you-up-d.hatenablog.com

博物館の入り口にクジラの全身骨格標本がお出迎えしてくれる博物館なんですね。

 

以前に行った時はナガスクジラマッコウクジラの全身骨格2体のみの展示だったのですが、早いものであれからもう一年。

 

その間になんとなんと、ザトウクジラの全身骨格が追加されていました。

 

 

こちらは先に述べたナガスクジラマッコウクジラに比べると一回り小さい印象でしたが、腕や指(胸びれ)の長さがとても印象深かったです。ザトウクジラは手先が器用なのかな?

 

ザトウクジラといえば水面からジャンプするイメージがありますが、あの大きな胸びれでジャンプの為の大きな跳躍力を生み出すのかな~?なんて想像するだけでもちょっとワクワクしてしまいます♪

 

 

こちらは「大阪市立自然史博物館」という、大阪の長居公園の中にある博物館です。この公園、どちらかといえば陸上競技場であったりサッカーなどのイメージが強い方も多いかもしれませんが、公園内の一角には小さなお子さんでも楽しめる遊具のある広場がいくつかあったり、博物館や植物館のあるエリアもあるなど、幅広い年齢層の方の憩いの場になっています。

 

ご興味のある方はお近くに立ち寄られた際は見にいってみて下さいね。

(あらら、今回は長居公園の宣伝っぽくなってしまいました(笑))

クリスマスの恐竜・古生物図鑑

輸入してしまいました(^^;)

 先日の記録(2年生なりの将来の夢)でお話ししていました年末のクリスマスプレゼントに渡す予定だった恐竜図鑑がようやく到着しました♪

 

 もちろん当初はクリスマスに渡すつもりだったんです・・・が、日本の子ども向け恐竜図鑑は結構読んでしまったものも多く・・・

かと言って息子が既に手持ちの好きな図鑑の『初版一刷』(要はその本が一番最初に発行された時のもの)の中古本をプレミア価格で購入するのも何だかなぁ・・・と思っていたんです。

 

 何が良いかとA〇azonさんの恐竜図鑑ページを流し見ていたら、ふとアメリカ版のA〇azonさんへと飛んでしまいました。

 

 するとそこには日本ではなかなかお目にかからない英語版の子ども向け恐竜図鑑が・・・。

 色々な本をチェックしていくうちにページ数もイラストも多く、レビューなども上々なお手頃価格の子ども向け図鑑を見つけました。

 

 

 しかし問題は英語で書かれている事です(笑)知識を得る為の図鑑なのに、その都度翻訳しなくてはならないはがゆさを息子は乗り越えてくれるだろうか・・・?

 

 本当に恐竜が好きならば1冊くらいは挑戦してみてもいいかな?と思い、本人には伝えた上で思い切って購入してみました。

 

 それがこちらです↓

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←左が輸入した図鑑。右→は日本語版が発売されていたので近くの書店で購入。

 ちなみに右側の「スーパービジュアル 恐竜と大昔の生きもの」(講談社/2018年6月21日発行)も英語版がありましたが、北海道大学小林快次先生の日本語版監修バージョンをプレゼントしました。

 

 こちらはかなりの迫力で、クリスマスからお正月の間はずっとこの本を寝る前のお楽しみとして読んでいました♪

  

 そして新しい図鑑を堪能し、お正月を過ぎた頃に写真左側のもう一冊

The Complete Illustrated Encyclopedia of Dinosaurs & Prehistoric Creatures」(Dougal Dixon著,2016発行)

が到着しました。

 

 

 

日本ではあまりみかけない恐竜や古生物

 一番嬉しかったのはやはり今まで見た事がない恐竜や古生物が紹介されていた事の様です。

 

 先に掲載した写真を見ていただきたいのですが、息子は真っ先に表紙にあったダチョウの様な恐竜に興味を示しました。

 

「お母さん、この恐竜、他の図鑑では見た事ないんだけどすごく気になる。だけど512ページもあって探せないんだよね(^^;)」

と早速言ってきましたので、

「わかった、じゃあ母さんが探してみるけど、だいたい何時代だと思う?それがわかれば探すのもだいぶ楽なんだけど。」

と試しに伝えてみたところ、

「たぶんね、これがノミンギアだと思う!ずっと見てみたいと思ってたんだけど、間違ってたらごめんね。ノミンギアなら白亜紀の獣脚類だよ。」

とすぐに返事が。

内心、"ノミンギア?あまり聞きなれないなぁ"と思いつつも”白亜紀だからcretaceous periodのあたり・・・”

と探しても・・・やっぱりイマイチよくわからなかったので索引で”ノミンギア(Nomingia)”と名称を調べると・・・載っていたんです(笑)

 

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ノミンギアは尾端骨という鳥の特徴を持つ恐竜だそうです。

 やっぱり息子が思っていた通り表紙の恐竜でした。

「やったー!初めて図鑑で見たよ~!!だけどなんて書いてあるかわからないや(^^;)」

 

という事で、息子が学校に行っている間に母ちゃんが間違いだらけ覚悟で翻訳中です。

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1日1体が限界ですがちまちまと手作業中の翻訳作業。日本語版が早く出てくれないかなぁ(>_<)

 

2年生なりの将来の夢

18歳で世界へ飛びだす

先日息子と話をしていたら、

「ボク、18歳で世界に出る。世界の大学で恐竜とかの勉強する!」

というので

「そうなんだ。いいよ、いってらっしゃい。それじゃあ英語を勉強しなくちゃね。」

と伝えると、

「うん、勉強するよ。」

との事。

 

どうもクラスで恐竜に詳しいお子さんがいる様で、負けたくない気持ちが芽生えたからだそうです。ふ~ん、周りのお子さんに対して意識し始めたんだなぁ・・・と思いました。

 

「じゃあ、ご飯とかどうするの?お母さんも一緒に行けばいいの?」

と試しに聞いてみたところ、

「いや、僕一人で行くから。」

と随分頼もしい返事です。

 

「じゃあ勉強も自炊の練習もしなくちゃね。18歳なんてすぐだよ、頑張ろうね。」

と伝えてみました。

※来年はどんな夢に変わっているかわかりませんが、記念に記録しておきます(笑)

 

 

だから今年のクリスマスのプレゼントは恐竜図鑑にしました。2冊のうち1冊は英語で書かれた子ども向けの図鑑にしてみようかと思っています。まだ届いていないので、届いたら記念に写真をUPしてみます。クリスマスから2週間程度で無事届きました☆*1

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クリスマスなので

特に何もないのですが折角の機会ですから少しだけ今の心境や状況を。

 

 

実は、こちらのブログではもうほとんど書き残しておきたい内容が無くなってきてしまいました。

って唐突ですよね(^^;)

 

お読み下さっている方の中には、発達障がいの息子が1年生で不登校に陥ってしまった経緯を覚えて下さっている方もいらっしゃると思うんです。

そうした皆様の中には『いったいどの様に不登校が解消されたのか?』を気にして下さっている方もいらっしゃるかも?と、もちろん思ったりもするんです。

 

 

でも息子の2年生の事については何も記録を残さない事に決めました。

 

誰かに話したくない程、とても大切な1年になったからです。

だからこの記憶は私の頭の中だけに残しておこうと思っています(笑)

 

復帰への道のりをざっくりお伝えするならば、

”学校や担任の先生が息子やクラスメイトのみんなの事をとても大切に丁寧に見て下さった結果、息子は学校へ通う楽しみを知りました。

凸凹のある息子ですから一筋縄ではいかない事もまだまだ沢山あります。

でも、色々ありますが本人も家族も楽しく過ごせております。”

こんな感じです。

ざっくりすぎてすみません(^^;)

 

 

 

それに、どうやら息子の事よりも私自身の周辺がどうも慌ただしくなりそうな予感がするのです。離婚問題とかではなく(笑)、どうもライフワーク的な何かが始まる様な動きになってきた様に感じています。

 

動きたい時に自由に動ける為にも、こちらのサブブログは今年度で定期的な更新を終えようかなと思い始めてきました。

 

という事で、あと残りどんな事を書き残せるかわかりませんが、過去の記事などを振り返りながら書き残しが無いようにもう少しだけ続けさせていただければと思っています。

 

 

 

*1:

届いた本の内容ですがなかなか楽しい本でしたので折角だから記事にしました。ご興味のある方はのぞいてみて下さい。

let-me-pick-you-up-d.hatenablog.com

一番古い記憶(私の回顧録)

今日は探し物クイズからはじめてみたいと思います。

 

下の写真に四つ葉のクローバーが2つあります。

別に目の運動などのつもりではないのですが、たまに気分転換もいいかな?と思いまして。良かったら探してみてくださいネ。(答え合わせは後ほどです)

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昔のブログに載せた写真をそのまま載せておきますネ。当時足繁く通った公園で撮影したものです。

(私の)他害のキモチ

今日は私自身の振り返り記事を書かせて下さいね。

この記事を以前のブログに書いた頃、息子は当時4歳を少し過ぎた頃で、幼稚園で他害とまでは言いませんが少し他人を脅かすそぶりを見せ始めた事があったんですね。

そんな息子の様子への対応に悩んだ時に、私自身の幼少期を思い出して対応を考えるヒントにした事がありました。

その時の記事をリメイクしてUPさせていただこうと思います。

 

 

そのころの息子と言えば、幼稚園生活の中で周囲に誰かがいる事に気付き始めた時期。

他人に何かを伝える機会が増えたからでしょうね、たくさんおしゃべりをしてくれる様にはなっていったんです。

 

ただ、そんな中にも気になる点が・・・。

他害の始まりと時を同じくして息子の助詞の使い方が微妙な部分がある事に気付き始めたのでした。(特に使役の助詞)

 

本人からどんな事があって相手を排除しようとしたのかを問いただしても「誰が」や「誰を」といった部分への理解が曖昧で、本人の説明と先生からお聞きしている状況とは真逆の捉え方だったりするのです。。。

(結局他害自体は「自分がされたら嫌だから」という理由で叩く事はなかった様ですので、ホッと胸をなでおろしたのでしたが、助詞の使い方は就学頃まで悩み続ける事になりました。)

 

 

こんな調子でしたから、本人からの聞き取りも大切にしながらも、息子自身の気持ちになって考えてみたくなって、自分自身の子どもの頃の記憶を辿る事にしたんです。

 

 

って、普段は偉そうにこんなブログを書かせていただいている私ですが、今日の内容は昔の私の他害の記憶です。(お恥ずかしながらそんな事をした事もあったのです。)

 

本当は恥ずかしくて書きたくないのですが、こうした記憶が子どもの心に迫る気付きになればと思い記録に残させていただきますね。

といいましてもダークな表現の部分もございますので、苦手な方はスルーして下さい。

 

 

 

一番古い記憶―弟が生まれた事

私の一番古い記憶は・・・1歳11ヶ月の記憶という事になります。

 

祖父母の家で父から「弟が産まれたよ!」と聞いた時、小躍りして
「○○ちゃん(←自分の名前)*1の赤ちゃん、○○ちゃんの赤ちゃん!」

とヒラヒラ踊って喜んだ記憶があります。

 

 

それまでに「赤ちゃんって何?」と聞くと、「お友達みたいなものだよ。」と父に聞いていたものですから、『弟が生まれたら毎日遊べる、お友達と遊べるんだー!』と思い込んでいたのでとても嬉しかったのです。

 

・・・

でもそんな嬉しい気持ちはすぐに薄らいでいきます。

当たり前ですが、弟は赤ちゃんでしたから(笑)弟が生まれた現実の日々は、私が思い描いた楽しくお友達遊びが出来る毎日とは程遠くかけ離れていたのでした。

 

そんな弟と一緒に遊び始めたのは弟が1歳を過ぎた頃でしょうか。
といってもまだ本格的には遊べない弟とそのお世話に必死な母親とは当時少し距離を置いていました。
「忙しいから外で遊んできなさい」と母親に言われ、そーっと家を出る日々でした。3歳頃の事です。

 

当時はまだ子どもがたくさんいた時代です。

外に出ると必ず誰か同じ年齢のお友達がいました。(同じ様な境遇のお友達がたくさんいた、という事の裏返しでもあります(笑))
幸いにもお向かいさんやご近所に同じ年齢のお友達がたくさんいましたのでその子達と家の前で遊ぶ毎日でした。

 

住宅街で日中は車の通りも全くなく、ご近所のお母さん方は3歳過ぎの子どもであれば同じ様に子どもだけで外で遊ばせていました。現代では考えられないくらい大らかです。
(といっても順番制の様な暗黙の了解があったらしく、誰かしらのお母さんが数人立ち話をしていて近所の子ども達を見守ってくれていました。郵便屋さん等のバイクがくると注意してくれたりと、そういった役割の方がいたからこそのびのび遊べたのです。そういえば私の母親もたまにそうして外で見てくれていました。)

 

 

ちょうどその頃、お友達同士でこんな遊びが流行りました。
「私3歳!」
「ボクも3歳!」と順に言い合うのです。
そして私の番が来るのですが、内心は
『全員同じ歳なんだから3歳に決まっているのに・・・』と思いながらも
「私も3歳・・・」と小さくつぶやく自分がいました。

 

同じ年齢でも少し月齢が早かった為か、同い年のお友達とのこうしたただ言い合うだけの遊びに発展性がない事がつまらなく感じ、その辺りから年上のご近所のお姉ちゃん達に遊んでもらう様になりました。*2

 

このお姉ちゃんたちに着せ替え遊びやごっこ遊びをたくさん教えてもらい、こうした遊びを通じて「こう言われたらこう返事する。」といった社会性ややり取りを教えてもらいました。


今の時代ではそうした交流のチャンスが減っているのかもしれませんが、私自身はお姉さん達の仲間に入れてもらえた事で少し大人びた気分になれた事や、やり取りの遊びが楽しくて仕方ない毎日でした。

 

 

***********

そうこうしている間に弟が2歳を過ぎ、

ようやく毎日楽しく一緒に遊べる様になりました(笑)

私は遊びが大好きでしたので、表面上は弟と毎日キャッキャ言いながら楽しく暮らしていました。

 

でもそれまでの間の母親や弟に対する不満がずーーーーーーーっと心の奥深い所にあったのです。もっと甘えたい気持ちや、母親の手を独占する弟に対する不満です。
4歳のある日、それが爆発しました(笑)

 

 

弟に手を出す

ある日、弟と2人で布団に入ろうという頃…

弟が何か機嫌を損ねて私に癇癪を向け始めました。理由も思い出せない様な他愛もない事だったと思います*3。(というか単に眠かったんでしょうね^^;)

弟の癇癪を私が受け止めなければいけない事に耐えられず、自分の中で何かがプチっと切れたのを覚えています。


それまでの何年かの鬱憤がとうとう溢れ出してしまったのです。。。いくら近所のお姉ちゃん達が優しくしてくれたからといって、それと母親からの愛情とはまた別物だったのです。

 

”弟を泣かせてやりたい、一撃で必ず弟を懲らしめてやる”という思いから、何を血迷ったのか弟の顔の一部を叩いてしまいました。
(うわーーー、ダークな表現ですみません・・・。)

 

もちろん弟は非常に激しく泣きました。
すぐに母親は駆けつけ、事情を問いただしましたがすぐに理解したのか弟の手当てとなだめるだけで私を責めませんでした。


母からかけられた言葉は「もう4歳のおねえちゃんなのに・・・。」という言葉だけでした。

 

”弟は幼いのだから、癇癪を起こしても仕方ない・・・”と内心はわかっていたので、攻撃する時に躊躇といいますか、加減をしたので幸いにも弟は目を閉じた状態で大事には至りませんでした。
(・・・全然幸いじゃないんですけれどもね。)

 

弟にケガがない事を確認した上で私達を寝かしつけた母親でしたが、翌日も私を責めませんでした。しかし責められなかった事で、私はかえって事の深刻さを私自身で理解する事になりました。

 

母親にしてみればずっと弟にばかり手をかけざるを得なかった事で私の不満は理解していた様です。

だからあえて私を責めなかった。

他人を傷つける事はいけない事といつも口すっぱく繰り返して来た母親。

普段ならかなり厳しく叱りつける人でしたので、今回はどんなに怒られるのだろうとある意味期待していたのですが予想が外れました。(怒られても良いから少し構って欲しかった気持ちもありました。)

 

 

***********

母親に責められなかった事で、私は逆に自分自身を強く責めました。
そして『他人を暴力で傷つける事は絶対にしてはいけない事』なんだと悟りました。

 

こうして私は弟に一生謝り続けなければいけない気持ちを心に抱える事に。これ以来、私は弟をとても大事にする様になりました。

 

その後しばらくはビクビクしていた弟も、気付けばいつも
「おねえちゃん、おねえちゃん!」と良く懐いてくれ、いつも仲良しの姉弟と周囲から言われる様になりました。

 

この私の経験から、他害はいけない事なのですがその時に

・悪意があるかどうか?

・ただ相手に来てほしくない時に嫌だと言葉で言えずに手で押し返しただけなのか?

・”もし手ではなく言葉で伝えるならどんな感情だったのか?”

他害をするまでに至った気持ちを大人側が見抜ける様になれば改善の手立ても早く見つかるのではないかな?と思ったりしています。

 

 

***********

余談ですが、母が他界した後にいつも思う事は、
”お母さん、素敵なプレゼントを私に残してくれてありがとう”という気持ちです。
なぜなら、弟は母が残してくれた一番の宝物だからです。

(しかし母、まだ2歳の弟を姉と二人で寝かせるのは少しスパルタ過ぎやしないだろうか・・・?)

 

ではでは四葉のクローバーの正解の発表です(←そんな大げさな・・・^_^;)

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写真の上の方と下の方にありました♪

楽しんでいただけたら幸いです(*^^*)

 

*1:まだ当時は自分の事を「私」と言えなかった記憶があります。

*2:この時既に同じ年の子と遊びにくい特性が出ていたのだと思います。

*3:当時、既に私と弟は2人で眠りにつくという習慣になっていました。母親は私達が寝付くまでは離れたところに居ました。

このブログのサブテーマなどですが、

サブブログのサブテーマ

 

もともとメインブログをお読み下さっている方からすれば昨日↓書きました様な夫婦間の問題や 

let-me-pick-you-up-d.hatenablog.com

私の過去の話を書き連ねられても・・・と困惑される方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

 

もともとは発達障がいをもつ息子の過去の様子をメインブログに、現在の様子をこのブログで記録させていただくつもりではじめたのですから、

”お母さんの話を書かれてもなぁ。”

と思われても当然です。

 

 

なので、このタイミングで書く理由を少しだけ述べさせて下さいネ。

 

 

************

このサブブログの主な目的やテーマは、

『色々あるけど、息子は元気でやってます!』

という事をお伝えする為です。

 

もちろんそれが大切な目的なのですが、いつしか書きながら息子の母である自分の事を振り返る機会が増え、その中で色々な事に気付いたのです。

 

・私の母も、今から思えばおそらくアスペルガーに近い様子が見られた事。*1

・そして私もADHDに近い不注意や多動・衝動がある様に思う事。

・夫にもおそらく何か特性らしき事が見受けられる事。

 

こうした点から、

”親子が共に発達障がいの場合の育児”

という視点を書き残しておきたい意図を持つようになりました。

 

又、特に私など女性の特性者の場合、気付かれにくいという事があるかもしれませんが、養育者が「(大変だなぁ)」とは内心で思う事があったとしても、力技で何とか乗り切る事が出来る・・・のかもしれません。

が、その家庭ではやはりなかなか他人からわかってもらえない辛さなどを抱えて成長する訳ですから、本当の意味での心の教育や特性ならではの心の傷に気付いてもらえない事が多くあると思うんです。

 

その事を誰かに知って欲しかったのです。

 

そうした女性は知らず知らずの内に重ねた心の傷を抱えたまま、大人となりやがて母となってしまった時、自分の子どもが発達障がいであったとしても自分が子どもの時にされた育児を繰り返してしまうと思われます。

 

だからもう一つのサブテーマが

”母になる女性に向けた、本当の女性のための教育”

なのです。

母となった時に一人で悩み辛い思いをしない様に、どんなバックアップが受けられるのか?どんな人を頼ればいいのか?そんな社会的機能や教育の在り方を読んで下さったみなさんがそれぞれに今一度考えてみる機会になれればと思うんです。

 

その為、回顧録などで特性めいた内容ですとか、夫婦間や昔のクラスメイトとの確執などを記録している訳です。

 

 

もしよかったらそんな視点で見ていただけると幸いです。

 

*1:冗談が通じなかったり、自転車がこげなかったり運転が出来なかったりでシングルタスクや粗大運動の苦手さが見られた事など・・・思い当たる節がたくさんあります。

恐らく・・・ダブルカサンドラ症候群。

私の事情

 

ダブルカサンドラ症候群なんて言葉があるかどうかわからないんですが、私たち夫婦は夫と私の双方がそれぞれカサンドラ症候群状態(カサンドラ症候群 - Wikipedia)なのかもしれない、と気付きました。

 

ネット上のどこかで読みましたが、双方に自閉的な傾向がある場合はカサンドラ症候群とは言わないのだそうです。確かに私たち夫婦には双方にそれぞれ何かしらの特性があると思いますので、ダブルカサンドラ状態なんて言葉は不適切かもしれません。

 

しかし私たち夫婦間においてはこう思うんです。

共感して欲しい私と他人に自分の感情の中に踏み込んでほしくない夫(つまり共感して欲しくないって事になるかもしれません)との心のベクトルの向きがあまりにも違い過ぎる事が、お互いを傷つけ合っているのではと思うんです。

 

 

夫はいつからかはわかりませんが、少なくとも私自身がここ2週間ほどの中でカサンドラ症候群を発症してしまった様です。

 

 

 

************

きっかけは、私がうっかりしてて救急病院へ駆け込む事態になった際に夫からかけられた暴言でした。

 

こちらの状態や顔色、声色をなにも見ずに冷たく吐き捨てられた夫からの一言。

 

ショックや咄嗟の出来事で返す言葉もうまく出せないまま一人病院へ駆け込んだあの夜、病院を後にした時、夫への愛情が一切なくなり再び気持ちが戻る事はないだろうと感じました。

 

 

おかげ様で症状としては大したことなくその日の内に帰れたのですが、家に帰りたくなくて一人の時間を過ごす中で、今まで結婚以来ずっとずっと押し殺して気付かないふりをしていた感情に気付きました。

 

 

************

もうすぐ夫と結婚して10年になりますが、この10年、無意識のうちに出来るだけ夫以外の人と関わる事は避けて過ごしてきました。

それは・・・誰かと会話したりアイコンタクトで共感を得られてしまえば、きっと夫との生活が辛くなる予感がしたからです。例えそれが同性の方であってもです。

 

夫との生活の中に足りなかったのは、共感の中で育まれる情緒的充足感でした。

 

私がどれだけ求めても・・・夫にはそうした要求は無い様子で、共感が返ってくる事はありませんでした。

 

食事時も団らんの時間も夫が見つめるのはテレビだとか動く物だとか、見る対象がはっきりしているものばかり。

 

目の奥底にある私の感情や心なんて、目に見える様な形あるものではありませんよね。きっと夫にはわかりにくかったのかもしれませんね。

 

そのうち子どもも生まれ、生まれた子は生後1年程度で発達のちぐはぐさを感じる様になり、この子に幸せな生き方をさせてやりたい一心でここまで必死に模索し続けた毎日。

いつしか夫に私の感情を共有を求める事は・・・しなくなりました。

 

 

だから尚更出来るだけ外を見ず、家庭の中にある小さな喜びや感動の中でそっと生きてきた様に思います。

 

 

************

それが今年に入って、息子に関わる環境が改善したり、自治会の方々と仲良くお話しする機会が増えていく中で、私の話を聞いてくれる方や私と同じ思いを感じてくれている事を示して下さる方など、たくさんの方々のご厚意に触れる機会が増えてしまったんですね。

 

去年まではどれだけ学校にお伝えしても何一つ共感してもらえなかった事がまるで嘘の様。

息子を受け入れてもらえた事で私自身もたくさんの方々に精神的に救われたのです。

 

 

誰かと目と目でアイコンタクト出来る喜びや

感情を共有できる喜びは

私の乾ききった心に沁み渡る様でした。

 

”ずっと誰かと心で繋がりたかったんだ”

 

いつしか顕在意識レベルでそう自覚する様になりました。

 

 

夫の事情

そんな状態での夫からの暴言。

 

友人に相談しても

「そう言われるだけの理由があなたにもあるんじゃないの?」

と一蹴されてしまいました。

 

もしそうならば、きっと私たち夫婦はお互いに凸凹とした特性がある様ですので、それぞれがお互いに深く傷付け合って生きてきたのかもしれません。

 

 

確かに、夫は口頭指示が通じにくいのはわかっているのですが、だからといって視覚的にわかりやすく書いて伝えるとプライドを傷付ける事も多く、私としても要求や今やらなくちゃいけない事をついつい強い口調で言い捨ててしまっています。

(子どもの事が手一杯だった頃からの名残で、心のどこかで”大人なんだから指示待ちしないで欲しい”とか”自分で今この状況で求められる事を考えて動いて欲しい”という強い憤りの感情を強い口調で表現してしまうのだと思います。)

 

こうした私の態度に、夫は長年傷つき萎縮してしまったのかもしれませんし、それが尚更態度を硬化させてしまい感情の交流や会話のない夫婦へと陥ってしまったのかもしれません。

 

 

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カサンドラ症候群はどちらかに発達障がいの確定診断がなければ診断されにくいそうですが、確定診断してまで前に進みたいかどうか・・・悩んでしまいます。

 

 

子どもの事を思えば夫との関係を改善した方がいいにきまってます。

それにもし夫婦としての情があるなら、「子どもにしてきた様に夫にもアスペルガー症候群向けの対応をしてみたら改善しそうじゃない?」と思われそうなのですが・・・。

 

とても言いにくいですが、私にもAll or Nothing的な考え方がありまして・・・一度でも”許せない”、”嫌い”と思ってしまったら・・・もう二度と好きにはなれないと思います。(もちろん今回の事だけでここまで嫌になってしまった訳ではなく、色々な経緯の上に更に今回の事があったのだと事情を汲んでいただけると幸いです。)

 

 

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専門医を探して夫婦でカウンセリングを受け、新しい未来を模索するのも大切かもしれませんが、もういい大人が変わる事ってとても力が必要な事ですし、そんな努力をするよりもお互いが一定の距離を保って生きていく事の方が現実的なのかもしれません。

 

どうなるかはわかりませんが、そんな理由でうまく感情をまとめられない日々を過ごしています。