ぎゅっぎゅっ、な毎日?

『ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記』(http://let-me-pick-you-up.hatenablog.com/)から派生した今現在の我が家の日記です。

自己肯定感を育てる必要性。過不足のない自信へ ―まとめ編―

長々と駄文を書き連ねてしまったシリーズになってしまいましたが、今になって一番思う事は自閉症とか発達障がいとは全く関係のない様な話になってしまった・・・かもしれない感です。毎度ダラダラとすみません。

 

さて、そんな訳で自己肯定感を育てる必要性。過不足のない自信へ ―前編―から長々と私自身の記憶を書き残してきましたが、まとめて終わりにしたいと思います。

 

 

繰り返しみた亡き母の夢なんですけど、つまりは

(1)母が失敗した育児をトレースしている(息子に対してあんまりガミガミ𠮟りつけていたら私と同じ様に卑屈に育ってしまうかもしれない事)

(2)この先の進路の事を子どもと一緒に考える(好きな事や趣味が似たお子さんが多そうな集団を探す)

こんな点かな?と思います。 

 

前回自分の小学生~高校生頃の事を書かせていただきました。その中で、自尊心をなるべく持たないように育てられたと書きました。当時はそうした風潮があったので、どこのご家庭も似たような感じだったと思うのですが、でもこれってそんなに必要だったのかな?と今になって思います。

 

確かに過度の自尊心は他人から嫌われるだけなのかもしれません。しかし自分の事を大切に出来ない人が本当の意味で他人を幸せになんか出来ないと思うんです。

 

自分に自信が無いが故に素直に他人に愛情を与えられなかったり、間違いや傷つく事を恐れて一歩を踏み出せなくなったり・・・自己肯定感がなければ、それはそれで様々な弊害が出てきてしまうと思うんです。

 

だからタイトルにもあります様に、過不足のない自信であったり、日本人が得意とする中庸ですとかほどほどな満足感程度で構わないので自信を持つ必要性があると考えています。

 

その為にも、一人で生きていかなくちゃいけなくなった時に

”これでいいんだ、自分が良く考えて選んだ事だから信じて進もう!”

と思える様な、自分を生きる為の推進力となる自己肯定感を育てていく事が大切なんじゃないかな?と思っています。

 

誰かに言われて選んだ進路ではなく、自分で選び取ってきた事が成功していけば、それが自信につながるのでは?と思う訳です。

 

 

具体的にはどうすれば?

結局、ずっと以前から私が今までにしてきた事の繰り返しで良いのだろうと思うのですが、子どもの心に寄り添って本人の心の中にある感情をしっかりと受け取る、これに尽きるのかなと思いました。

そしてそれに対して丁寧に応えたり、一緒に悩んで考え方を学んでいく事で、本人でも解決出来る様になっていくといいなと思っています。

 

 

それが今まで出来ていたのに・・・この夏は、なんと申しましょうか・・・これはこれで必要な時間だったのだと今では思うのですが、思いがけずひょっこりと現れたネガティブな自分との訣別の時間が私自身には必要でした。

 

これは親としてではなく一人の人間としてもっとステップアップしていかなくちゃ、この子に道を示す事は出来ないなと常々感じているからです。いつでも課題や学びが準備されているから人生は複雑で飽きないのかもしれませんね。

 

そんな訳で・・・

もともと私の中にあった焦燥感や罪悪感が今回は『亡き母の夢』という形で何度も何度も現れ、今の私自身は子どもと向き合う基本姿勢がとれていない事にこうして気付きました、という日常の紹介文でした。

 

 

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そうそう、↑こんな風に書くと

「子どもを叱ってはいけません。」

とお伝えしている様に読めてしまうと思うんです。

 

もちろんできれば叱らないに越したことはないし、そうならない様にいつも先回りした準備が出来ている事が望ましいかもしれませんね。

 

又は、叱る事まで計算した準備の仕方もあるかもしれません(例えば人間の”突発的な怒り”や”感情的な様子”を子どもに教えたい場合など)。

 

 

でもね、

人間ですから。

100%叱らずに、なんて難しい時もたくさんありますよね。

  

これはあくまで私と息子のこれまでの経験での話なのですが、

それまでにしっかりと母子間での愛着や絆を結んでこられた方は、もし事情などがあって仮に頭ごなしに叱っちゃった事があったとしても大丈夫な気がします。

 

 

心の深い部分できちんとお互いに繋がっていれば、

”あ、しまった、頭ごなしに言っちゃった(>_<)”

と思う叱り方をしてしまった後でも、

「なんでこんな事(叱られる様な事)しちゃったの?理由を教えて?」

と口調を変えて様子を聞く形でフォローをしておけば息子の場合は

『行為に対して叱られただけで、ボク自身を全否定してしまっている訳ではないんだな』

と理解してくれる様です。

 

で、その理由がやっぱりダメな場合は穏やかに諭し、理由が正当な場合は理解を示してやる様にしています。

 

 

穏やかな二学期

おかげ様で夏休み以降、(このシリーズを書いた事も功を奏したのかもしれませんが)怒らず叱らずでひと月以上過ごせています。

 

この間、学校では運動会や色々な行事を通じて新たな学びや楽しい経験を積み重ねている息子。

 

しばらくは学校で頑張る子どもを家庭では穏やかに受け止める事で心身の育成をサポート出来る様に心がけていきたいと考える今日この頃です。

 

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この夕刻の空の様に、親も子どもも複雑な成長過程にある我が家でした。

 

 

最近ではもはや発達障がいだとか、自閉症といった悩みよりも人としてどう生きていくかというごくごく普通の悩みに移行してきている事に驚く毎日です。

(といっても普段の息子の様子ですが、わかる方がご覧になればまだまだ自閉っ子ってすぐにバレてしまう程度ではあるんですけれど(^^;)発達障がいについても気を抜かずに新しい手法なんかを勉強していきたいなと考えています。)