『連れてきてしまった』という思い 『連れていけなかった』という思い
昨日の記事(通えるようになりました<(_ _*)>)でようやく学校に通い始めた事をご報告させていただきましたが、息子が不登校だったこの半年程の間で私がずっと囚われてしまった考えについて記録しておきたい事を残させて下さい。
『連れてきてしまった』という思い
小1の息子の不登校が続く中、日増しに強くなる自虐的な考えがありました。
特に新学年が始まる直前にはピークへと達してしまったその思いとは、
『私が息子を無理矢理ここまで連れてきてしまったのでは・・・。』
という強い後悔と自責の念でした。
約1年前に引っ越し先を探す中で今住んでいる地域の事を良く調べもせず選んでしまったのも自分、本人が早生まれであるという事もあってまだまだ伸びしろもあるだろうと普通級しか考慮しなかったのも自分*1。
そして何よりも
『私自身が躍起になりすぎて、息子を本来自然に伸びるはずの成長以上に伸ばそうとしてしまったのでは・・・?』
『そうした家庭療育を後先考えずに進めてしまったのも自分なのだ』
という思いです。
これまでは
『ここまでの成長は息子が本来持てる力をもって自然のままに成長した結果と、プレや幼稚園、作業療法や習い事といった形で関わって下さった方々のお力やお助けがあって今この場所にいるんだ』
と思っておりました。
なのに当時の私は相当参っていたのでしょうね。
随分おこがましい考えをしてしまっていたのです。
『自分がちょっと頑張りすぎて息子をここまで引き上げてしまった、連れてきてしまった。』
と。
未就学の頃、家庭療育だの発達についての独学だのと自分が頑張りすぎてしまい、うっかり息子が普通学級に入学出来てしまう程に成長させすぎてしまったのではないか・・・と。
2歳半頃に受けた発達検査では平均でDQ85。
だからもしその時に気付かぬふりをしてそのまま発達を促す事なく過ごしていたら、ひょっとしたら今頃息子は支援級で穏やかに過ごせていたのかもしれない・・・なんてこれまでの周囲の方や息子の努力を全て否定するような悲観的な考えをついついしてしまいます。
努力・・・なんか・・・しなければ良かったのかもしれません。
(過去のブログを見てもし頑張ろうと思って下さった方がいらっしゃいましたらすみません。本当は努力すれば報われると申したい気持ちなのですが、今は安易にそう言えなくて本当に申し訳ございません。)
特に子どもが2年生になる直前、
どこにも私たち親子の居場所が無い様な気持ちに駆られ・・・頭の中は上記の様な思いでいっぱいでした。
真逆の『連れていけなかった』という思い
しかし一方で、もし自分の家庭療育にある程度の効果があったとするならば・・・と考えると・・・もっともっと強く自分を責めざるを得ませんでした。
つまり、もっと私が頑張っていたら、引っ越しなんかせず息子の成長をもっともっと促す事だけに専心していれば・・・少しも手を抜いていなければ・・・
今頃もしかすると学校で辛い思いなんかしていなかったんじゃないか?
という考えに至る訳です。
少し考えこんでしまうとこの様な自罰的な考えから脱却出来なかったので、息子とただ坦々と毎日を過ごす様にしておりました。
お母さんに操られている!
まぁ、そんな親の心を見透かすかの様なタイミングで少し面白い出来事が起こりました。
ちょっと車の往来が激しい道路を歩いていた時、あまり深く考えず反射的に少し手を無理矢理繋いでしまった時の事でした。
息子がふいに
「お母さんがボクの事を操っている!操られているよ!」
と怒りをあらわに手を振り払いました。
あまりにも唐突でしたので思わず
「もう、危ないからよ!」
と言ってしまったのですが、でも心のどこか安堵してしまいました。
『あぁ、この子もそんな風に感じられるし、それを言葉にして表現出来る様になってきたんだなぁ。』
って素直に嬉しくなりました。
誰かに言われた通りに進むのではなく、自分で考えて行動出来る人間になって欲しいという目標を掲げてここまで参りましたのでこうした事を不快に思う事はとても大事な事だと思うんです。
夫や私がいなくなっても、善悪や是非を自分で考え、自分で選択し、自分で歩んで行ける様になって欲しい。
その為にはまだしばらくの間は価値観や善悪といった部分を一緒に考えてみたり、どうしたら良いのか?といった判断を自分で考えていける様な心の核の部分をゆっくり育んでいけたらいいなと思っています。
変わらずにいてくれた人達*2
※少し書き漏れた事がありましたので後日追記させていただきます。
こうした大変苦しい大きな波に襲われた我が家でしたが、そんな時でもいつもと変わらずに接してくれた方々が何人かいらっしゃいました。
大変な時にあえて必要以上の同情をする訳でもなく、かといって辛い気持ちや心情はそっと汲みとり、無理強いはせず時が過ぎるのを一緒に見守ってくれた人達の存在があったからこそ今の我が家がある様に思います。
ちょうど先日の冬季オリンピックでスピードスケートの小平奈緒選手が金メダルを獲得した時の会見で
「良い時も悪い時も私を認めて下さる皆さんが周りにいたから。」
という内容の言葉を口にされた事があったのですが、
その通りだなぁとつくづく痛感しました。
こうした苦難の時に寄り添ってくれた方々の事はこれからも大切にしていきたいなと思った次第です。