ぎゅっぎゅっ、な毎日?

『ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記』(http://let-me-pick-you-up.hatenablog.com/)から派生した今現在の我が家の日記です。

歌を捨てた過去(私の回顧録)

※先にお断りさせていただきますが、今日は息子とは一切関係ないお話になってしまいました(^^;)なのでご興味のない方は読み飛ばして下さい。(どうして息子に関係のない私の過去の話ばかりするのかは、近いうちにでも書かせていただければと思っています。)

 

先日のメインブログの冒頭で更新が出来なかった旨を書かせていただいたのですが、

let-me-pick-you-up.hatenablog.com

 

その事情とは、いわゆるママさんコーラス(?)に参加していた、という経緯でした。

 

今年は”私、こんな事にも参加出来る様になったんだ~!”と思う様な経験ばかりさせていただく事が多く、そうした面からも息子の成長をとても感じる一年となっています。

 

ただし、このコーラスですが・・・とっても楽しかった半面、とても辛い記憶を思い出すきっかけとなりました。

 

 

歌うと叱られた日々

私、小さい時から話す声は小さいのに歌う声となると何故か声楽家の様な声が出せてしまう不思議な能力がありました。

 

おそらく聴覚が過敏だった事と表裏一体の能力で、聞いた音を再現する力に特化していたのだと思います。

 

ですから他にも

・何故か猫の鳴き声をまねると本物のネコが集まってくる(笑)

・英語は基本苦手なくせに何故か発音だけはネイティブさんが振り向くレベル。

・好きな曲なら何度か聞けば楽譜を見なくてもそれっぽく再現出来る。

上記の様なちょっと変わった特技があります。

 

 

***********

またまたいつもの如く脱線しちゃいましたが歌の話に戻りますと、歌は自分でも自覚アリなほど大好きだったので、小学校に行く楽しみの一つといえば歌を教えてもらえる事と思っていました。

 

流行の歌謡曲、も嫌いじゃなかったですが、どちらかと言えば唱歌や声楽曲、中学ではスカボローフェアなどの洋楽を教えてもらえるのがとても楽しみでした。

 

だから中学が辛かった時期も音楽目当てに何とか学校に通っていました。

しかし楽しい気分のまま帰宅して気持ちよく家庭で歌ったりするとこっぴどく叱られる事が多々でした。

 

「あんたの声は耳に刺さる。他人の迷惑を考えなさい。」

「ピアノ伴奏のない歌って本当に下手よね。」

 

どちらも母の言葉でした。*1

 

確かに人の迷惑を考えなくちゃいけないのはわかります。だけど歌うたびに下手だと連呼され続けたので私は自分で歌が下手だと思っていました。

 

 

辛い事件

それでも歌が好きだったので

”一生懸命練習してもっと上手になりたいな、いつか声楽家になりたいな”

と思う気持ちが強くなり、中学3年になるかならないかの時期に母に進路相談をしてみました。

 

「高校は音楽科を目指したいんだけど。」

すると

「いや、高校は普通科でしょ。」

と即答されてしまいました。

 

確かに・・・もし合格したとしても家では練習出来ないなら・・・と諦める事にしました。

 

***********

こうして音楽に対しては一定の距離をとりながら・・・時は少しだけ過ぎ、中3の1学期に突入しました。

家では歌えないけど音楽の授業だけは誰にも遠慮せず歌えると思って、もう受験の事など忘れてただただ音楽の授業を楽しんでいた頃でした。

 

ある日の休み時間、声楽で音楽科を目指す同級生に人気のない廊下に呼び出されました。

 

「どうしたの?」と聞くと

「いいからここでちょっと歌ってよ。」

と催促されました。

「なんで?」とか「こんなところじゃ歌えないよ。」と断ったのですが、相手の鬼気迫る様子に根負けして

「じゃあ・・・今授業で習っている歌でいいかな?」

と、廊下の突き当りで歌ってみました。

 

 

すると腹部にドスン・・・という重たい衝撃。

私が声を出し切った頃合いを見計らい、同級生は私の腹部に思いっきり手のひらを押し当ててきたのです。

 

油断していたのもあって、壁にドンとぶつかり・・・手と壁に挟まれた私は息が出来ず・・・とても苦しかったのを覚えています。

 

「いい?私は毎日こんな練習をしてんだよ!!!!」

 

多分、受験して声楽家になる為に真面目に練習している苦しみを思い知れ、と言いたかったのかな・・・と思います。それにしたって、私は自分がプロを目指せるほどには上手ではないと思っていましたので・・・まさか彼女に意識されているとは夢にも思っていませんでした。

 

 

私も発達に関する何らかの特性があると思いますが、ちょっと空気が読めない所があったのかなぁ・・・いつの間にか彼女の気分を害していたのでしょうね。

 

それにもしかすると母はこうした事も危惧していたのかもしれません。

”自分さえ良ければいい”って思っていない?

 って。

 

 

***********

この一件があってからというものの、あまり歌を歌わなくなりました。*2

そしてここから学んだ事は育児にも色濃く影響を与えています。

 

子どもに少し突出した所があった場合、それを人に見せる時は少し状況を見てからにしなさい、と。

能力は人にひけらかすものではない(それは自分の身を守る為にも)、と。

 

たとえ傑出した能力があったとしても・・・日本ではうまく見出してもらえない事もまだまだ多いんじゃないかな・・・と思ってしまっているからです。

 

 

だけど家の中くらいは、息子には自分の好きな事くらい正直に言わせてやりたいな、と思っています。

 

 

駄文にお付き合い下さいましてありがとうございました。

*1:かなり厳しめな言葉だった理由は、母は病気を患っておりましたので、脳内に反響する音が辛かったのだろうと思います。

*2:その後就職して実家を出、自分の収入で声楽を習いにいく事が何年か出来たのでした。その辺りからは純粋に自分の好きな歌を趣味として楽しめる様になりました。

楽しく終われました♪

前回は保護者のお仕事で慌ただしく生きています、と子どもそっちのけの私の事情をお話しさせていただいたのですが、ようやくそちらが無事終了したので軽くご報告を。

 

 

今回の事は私にしてみれば突然始まった事だったのですが、いわゆる本番があるお仕事を引き受ける事になったのです。

当初はその本番に向けての事前準備の段階の中で、なかなか動けない状況に孤独感や不安が続き・・・一体どうなる事やらと思っていたのです。

が、一生懸命やっていると周囲の方々ってちゃんと見てくれていた様で、たくさんの方に助けていただく事ができ、最後は嬉しい涙で終われました。

 

元々自分一人じゃ出来ないボリューム感だったのでたくさんの人の助けが必要なのは最初からわかっていたのです。

でも終わってみれば私が考えて以上の大成功で、一人一人が最大以上の能力を出し切ってもらえた結果でした。

 

ご一緒したお母さん達とはとても素敵な協力関係を築けたし、まるでチームワークのお手本のようだな、と思います。(子ども達にも見せたいくらい(笑))

 

私自身も「自分が最大限頑張ったのだから、あとはみんなの事を信じて任せる」、という事を学ばせていただきました。

 

「さぁて、数週間は子どもそっちのけで頑張ったから、今日からはまた子どもを見つめる日々に戻ろう!」

今は満ち足りた気持ちです。

見返りなど求めない、という事

ちょっとだけ慌ただしくしています

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酔芙蓉でしょうか?行きかう人を立ち止まらせる美しさがありました。

※今日は息子ではなく私個人の話です。ご興味のある方はよろしければお読み下さい。

 

ひょんな事から少しだけ忙しくしております。

といっても短期的に、です(^▽^;)

このブログもメインブログの方も、また来週からはいつも通りマイペースな感じで更新していきたいなと思います。

(特にあっちのブログはそろそろ七五三の季節なので、何とかそれまでに間に合わせたいです。)

 

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今は日々新しい色々な出会いがあり、自分の勉強になったり新しい刺激を得たり出来ています。

でもその一方で、逆にこれまでに息子や私たち家族に寄り添ってくれた方々のありがたさを改めて感じています。

 

私がどんなスキルを持っているか?

私が相手にとってどれだけ有益か?

そんな思いなど一切持たず、ただ純粋に手を差し伸べてくれた人達がいたのだと・・・今更ですが気付いた訳でして。

孤独だからか余計にそうした気持ちが心に突き刺さる様な状態です(^^;)

 

***********

細かな事はお話し出来ませんが、

いわゆる保護者のお仕事に頑張る毎日なんです。

 

多動ぎみな子の母親をしていると、どうしても

自閉症児の母親って知れ渡っているんだろうなぁ・・・”

と後ろ向きな考えに陥ってしまいがちでした。 

なのでこれまでは目立たない様に後ろの方に控えて眺めておりました。

 

 

***********

でも秋って色々と行事があるんですよね。

すると保護者のお仕事も増えてくる訳です。

そんな中、こうしたイベントの事で去年の私と同じ様にうまくいかなくて苦しむ人がいたので、ふと去年の自分と重ねて見てしまったのがきっかけで私が代わりに動く事に決めました。

 

だからといって、感謝されたかった訳ではなく、

名誉でもなく、

もちろん自分のスキルを見せつけたかった訳でもありませんでした。

ただただ沢山の人が関わる事なので無事終わらせたかっただけなんです。

 

それに自閉症児のお母さん、と敬遠される事もなく受け入れてもらえていたのが少し嬉しかったのかもしれません。*1

  

これまで苦しい状況に陥る度に、私や息子の事を何も知らずに寄り添い助けてくれた人達がいたから、きっと今度は私の番なんだろうなって思ったから、

どんな批判を受けてもやり通そうと決めました。

 

 

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って決めたのに心が弱いので短期でもボロボロです。

強くなるための良い経験ですね、きっと。

 

全部終わったらたくさん泣こう(笑)

うれし泣きだったらいいな。

その頃にはあの酔芙蓉はもう枯れてしまっているのかしら。

 

 

*1:他にも”いつもお世話になっている方々に少しでも恩返しが出来たらいいな”

という欲は少しあるかもしれません(;^ω^)

脳波とかむずむず脚症候群とか。

今日は脳波やてんかん、その他発達障がいに関連する症状についての理解を進めた事を記録させて下さいね。

 

**********

自閉症や発達障がいの方にとって気になる事の一つに”てんかん”が挙げられるのではないでしょうか?

私も息子がまだ乳児期だった頃からてんかんがあるかどうかずっと気になっていたのですが、先日脳波を計測する機会がありましたので、記録しておこうと思います。

 

 

脳波の測定結果

結論から申し上げると、てんかん波は計測されませんでした。

結果にひとまず安心した訳です。

 

てんかんって、自閉症の方の発症率が高いとされているそうです。

発作の種類も多岐にわたり、はっきりわかりやすい症状のものもあれば、中には人知れず発作が起きてしまっているものまで様々あるそうです。

 

もし私が気付けていないだけで、息子がボーっとしている様にみえて実は発作の一種だった・・・なんて事が無いように、出来れば早期に投薬などの適切な処置につなげていきたいとは考えていました。

 

で、結果てんかんではなかった・・・のですが、今回そもそも脳波を計測する事になった経緯ですよね。

 

それはですね、、、寝ている間に体がビクつく様になってしまったからなのでした。*1

 

 

 

 

むずむず脚症候群

ある日、息子が寝ている間の事なのですが、彼の足や体がビクンっと結構激しく動く事が頻繁に起こる様になってしまいました。

 

それが一度や二度ではなく、一夜の内に何度でも起こってしまうのです。

 

当時、まだ冬場で足先が冷たい息子は私の体に足をくっつけて寝る事が多くすぐに気付けたのですが*2、早速「寝る時」+「 足がビクッ」をネットで調べてみると・・・

 

するとすぐに二つの症名が浮かんできました。

  1. 睡眠時ミオクローヌス
  2. 周期性四肢運動障害やむずむず脚症候群

どちらもですね、不随意運動と言いまして、本人が意図しない無意識的な動きをしてしまう症名なんですね。

 

更に調べた結果、1の睡眠時ミオクローヌスであれば誰にでも起こる生理的な動き、という事がわかったのですが、2の方が少し対応が難しい・・・かもしれない事がわかりました。

 

 

やっぱり・・・鉄不足?

調べますと、2の『周期性四肢運動障害』、『むずむず脚症候群はどちらも恐らくドパミンに関連した症状です。

 

私は医師ではありませんので、それぞれの詳細について正しく語る事が出来ないため、ここではあまり深く言及しないでおこうとは思います。

なのでざっと軽く私の現在の認識・・・をお話しさせて下さい。

 

**********

人は成長するに伴い、赤ちゃんの頃から生きる為にもともと備わっていた原始反射をそれぞれ脳機能を発達させ代わりとなる別の動きに変えて成長していきます。

 

それがうまく切り替わっていかず原始反射が残ると不随意運動の様な、本人が意識していない様な体の動きとして残ってしまう、と私自身は今現在認識しています。(間違っていたらごめんなさい<(_ _)>)

 

ドパミンは、そうした原始反射の代わりとなる脳機能なんかをうまく働かせる為に、いつも脳内で神経伝達物質として大活躍しているのですが、そのドパミンが不足してしまうと、こうした脳で統制された動きが出来なくなってしまう*3・・・その一つが今回浮かび上がった周期性四肢運動障害やむずむず脚症候群なのかなと。

 

で、こうした場合にドパミンが不足してしまう原因として、鉄不足が挙げられるそうです。

鉄欠乏性貧血の方の罹患率が高い・・・と多くのサイトに書かれてありました。

 

・・・

・・・・・・

!!!!!!!!!

鉄不足・・・?

そういえば息子は1歳過ぎから泣き方が激しくなり、病院に駆け込んだ事があったのですが、その時に貧血を指摘された事があったのです・・・。

let-me-pick-you-up.hatenablog.com

 

やっぱりあの時の医師の指摘にはきちんと耳を傾けるべきだったと今更改めて思います。

鉄不足だと今後どういった事が起こるか、

こうして振り返ると当時の私はあまりにも知識不足だと言わざるを得ません。。。

 

 

鉄欠乏性貧血の場合、注意欠陥やこうしたドパミンに関連する諸症状が出やすいという事があるそうです。

 

その理由の一つとして、

鉄が足りないとドパミンセロトニンといった神経伝達物質をうまく生成出来ないそうなのです。

鉄不足は神経伝達物質の不足にも繋がるという事になりますね。

(ごめんなさい、私は引用元や典拠をはっきりと示すタイプなのですが、今は少し時間がなくて、後で必ず挙げさせていただきますので今はこうした書き方な事をお許し下さい<(_ _)>)

 

もちろん、体内のどこで鉄をロストしてしまっているかは突き詰めた方が良いと思います。ただ、私に出来るのは、

”食品として摂取する量が不足しているから、体内で必要量のドパミンセロトニンを作る事が出来ない”

と仮定し、経口摂取量を増やしていく事だけでした。

 

 

 

完母でもフォローアップミルクを。

そういえば、今回改めて勉強して学んだ事がありました。

 

生後1歳前から飲む事が出来るフォローアップミルクって、完全母乳の人にこそ飲んで欲しいミルクだったのですね。

ミルク育ちのお子さんの場合、鉄はもともと飲んでいるミルクに必要量含まれているので貧血のリスクが少ないそうなのですが、母乳育ちの場合にこそ鉄が少なく、又離乳食が始まった頃は特にまだ食べられる物も偏りがある為、この頃急激に成長するお子さん達にとって必要なカルシウムや鉄が不足しがちになるそうです。

 

フォローアップミルクの役割とは、食品から摂取しづらいカルシウムや鉄を上手に補う役割だったのですね。

なのに当時の私は完全母乳に少しこだわってしまったのか、医師のアドバイスに耳を傾ける事が出来ませんでした。

 

もしあの時に戻れるなら、素直にフォローアップミルクを飲ませてあげたいな。

今更ですが強い後悔、です。

 

だから気付けた今は絶対に後悔したくないので、偏食の息子でも食べられる鉄分を何とか探し、毎日の食事に加えてやれたらいいなと思っています。

 

 

 頭に針を刺されちゃうの(>_<)?

という訳で、今回初めて脳波を計測する事になった息子ですが、この検査って初めての経験なら確かに怖いものなのかもしれません。

息子くん、とんでもない勘違いをしていました(笑)

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当日、息子はある勘違いでかなり抵抗しました。

というのも頭に貼り付ける小さな器具一つ一つを頭に刺すと思い込んでいたらしく、「ボク死ぬの(>_<)!?」と激しく拒否(笑)

話をよくよく聞けば

「小さな針を頭にたくさん突き刺して、それで頭の中を検査するんでしょ(;゚Д゚)嫌だょぉ・・・(T_T)」

と。なので器具を確認させてもらって、本人が納得したところで計測する事が出来ました。(本当に最後の最後まで「眠ったところで針が出るんでしょ!!」って猜疑心の塊でしたw)

 

やっと誤解が解けていざ検査を始めようとした頃のこと。

寝ている間の脳波が必要だったので

睡眠薬を飲んで」

と伝えたら、いつもは入眠困難で薬を飲んでるくせに

「いや、納得したから要らないです。ボク、必要があるなら寝れます(`・ω・´)ゞ」

と看護師さんに言い切り、有言実行してました(^^;)

覚悟したら眠れるなら日ごろ夜寝れないのは一体何なんだろう・・・(^^;)?

 

 

という事で、てんかんなどが気になり脳波検査をした、という話でした。

脳波検査あるあると鉄の大切さを伝えられたら幸いです<(_ _)>

*1:実はそのあたりについては以前『一難去ってまた一難・・・(入眠時に足がビクビクする件)』という記事で似た内容を書かせていただいておりました(笑)何度かこういう事があり、体のビクつきを一度調べていただこうという事になったのでした。

*2:こうした症状は一緒に寝ている人(=ベッドパートナー)が気付きやすいそうです。

*3:確かチックなんかも同じ様にドパミンが必要なのにうまく得られない事で出てしまうと記憶しています。

自己肯定感を育てる必要性。過不足のない自信へ ―まとめ編―

長々と駄文を書き連ねてしまったシリーズになってしまいましたが、今になって一番思う事は自閉症とか発達障がいとは全く関係のない様な話になってしまった・・・かもしれない感です。毎度ダラダラとすみません。

 

さて、そんな訳で自己肯定感を育てる必要性。過不足のない自信へ ―前編―から長々と私自身の記憶を書き残してきましたが、まとめて終わりにしたいと思います。

 

 

繰り返しみた亡き母の夢なんですけど、つまりは

(1)母が失敗した育児をトレースしている(息子に対してあんまりガミガミ𠮟りつけていたら私と同じ様に卑屈に育ってしまうかもしれない事)

(2)この先の進路の事を子どもと一緒に考える(好きな事や趣味が似たお子さんが多そうな集団を探す)

こんな点かな?と思います。 

 

前回自分の小学生~高校生頃の事を書かせていただきました。その中で、自尊心をなるべく持たないように育てられたと書きました。当時はそうした風潮があったので、どこのご家庭も似たような感じだったと思うのですが、でもこれってそんなに必要だったのかな?と今になって思います。

 

確かに過度の自尊心は他人から嫌われるだけなのかもしれません。しかし自分の事を大切に出来ない人が本当の意味で他人を幸せになんか出来ないと思うんです。

 

自分に自信が無いが故に素直に他人に愛情を与えられなかったり、間違いや傷つく事を恐れて一歩を踏み出せなくなったり・・・自己肯定感がなければ、それはそれで様々な弊害が出てきてしまうと思うんです。

 

だからタイトルにもあります様に、過不足のない自信であったり、日本人が得意とする中庸ですとかほどほどな満足感程度で構わないので自信を持つ必要性があると考えています。

 

その為にも、一人で生きていかなくちゃいけなくなった時に

”これでいいんだ、自分が良く考えて選んだ事だから信じて進もう!”

と思える様な、自分を生きる為の推進力となる自己肯定感を育てていく事が大切なんじゃないかな?と思っています。

 

誰かに言われて選んだ進路ではなく、自分で選び取ってきた事が成功していけば、それが自信につながるのでは?と思う訳です。

 

 

具体的にはどうすれば?

結局、ずっと以前から私が今までにしてきた事の繰り返しで良いのだろうと思うのですが、子どもの心に寄り添って本人の心の中にある感情をしっかりと受け取る、これに尽きるのかなと思いました。

そしてそれに対して丁寧に応えたり、一緒に悩んで考え方を学んでいく事で、本人でも解決出来る様になっていくといいなと思っています。

 

 

それが今まで出来ていたのに・・・この夏は、なんと申しましょうか・・・これはこれで必要な時間だったのだと今では思うのですが、思いがけずひょっこりと現れたネガティブな自分との訣別の時間が私自身には必要でした。

 

これは親としてではなく一人の人間としてもっとステップアップしていかなくちゃ、この子に道を示す事は出来ないなと常々感じているからです。いつでも課題や学びが準備されているから人生は複雑で飽きないのかもしれませんね。

 

そんな訳で・・・

もともと私の中にあった焦燥感や罪悪感が今回は『亡き母の夢』という形で何度も何度も現れ、今の私自身は子どもと向き合う基本姿勢がとれていない事にこうして気付きました、という日常の紹介文でした。

 

 

***********

そうそう、↑こんな風に書くと

「子どもを叱ってはいけません。」

とお伝えしている様に読めてしまうと思うんです。

 

もちろんできれば叱らないに越したことはないし、そうならない様にいつも先回りした準備が出来ている事が望ましいかもしれませんね。

 

又は、叱る事まで計算した準備の仕方もあるかもしれません(例えば人間の”突発的な怒り”や”感情的な様子”を子どもに教えたい場合など)。

 

 

でもね、

人間ですから。

100%叱らずに、なんて難しい時もたくさんありますよね。

  

これはあくまで私と息子のこれまでの経験での話なのですが、

それまでにしっかりと母子間での愛着や絆を結んでこられた方は、もし事情などがあって仮に頭ごなしに叱っちゃった事があったとしても大丈夫な気がします。

 

 

心の深い部分できちんとお互いに繋がっていれば、

”あ、しまった、頭ごなしに言っちゃった(>_<)”

と思う叱り方をしてしまった後でも、

「なんでこんな事(叱られる様な事)しちゃったの?理由を教えて?」

と口調を変えて様子を聞く形でフォローをしておけば息子の場合は

『行為に対して叱られただけで、ボク自身を全否定してしまっている訳ではないんだな』

と理解してくれる様です。

 

で、その理由がやっぱりダメな場合は穏やかに諭し、理由が正当な場合は理解を示してやる様にしています。

 

 

穏やかな二学期

おかげ様で夏休み以降、(このシリーズを書いた事も功を奏したのかもしれませんが)怒らず叱らずでひと月以上過ごせています。

 

この間、学校では運動会や色々な行事を通じて新たな学びや楽しい経験を積み重ねている息子。

 

しばらくは学校で頑張る子どもを家庭では穏やかに受け止める事で心身の育成をサポート出来る様に心がけていきたいと考える今日この頃です。

 

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この夕刻の空の様に、親も子どもも複雑な成長過程にある我が家でした。

 

 

最近ではもはや発達障がいだとか、自閉症といった悩みよりも人としてどう生きていくかというごくごく普通の悩みに移行してきている事に驚く毎日です。

(といっても普段の息子の様子ですが、わかる方がご覧になればまだまだ自閉っ子ってすぐにバレてしまう程度ではあるんですけれど(^^;)発達障がいについても気を抜かずに新しい手法なんかを勉強していきたいなと考えています。)

 

 

自己肯定感を育てる必要性。過不足のない自信へ ―中編―

晩夏にみた夢

夏休みの終わりごろから、私は何度か同じ夢を見るようになりました。

それは母との昔の出来事でした。

  

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※白い彼岸花でしょうか。珍しくて思わずパシャリとしてしまいました。花言葉は「また会う日を楽しみに」だそうです。

 

 

 

***************

私が小学5年生頃の事です。

学校で先生と母との保護者面談が終わった直後頃だったと思います。

「ねぇ、あなた〇〇教育大附属の中学校を受験してみたら?」

と母が言い出したのです。

 

当時はまだまだ中学受験がさかんではない時代で、ごくごく限られた裕福な家庭や本当に飛びぬけた才能のお子さんだけが受験する様な時代でした。

だから最初に言われた時は

「普通の一般家庭に育った私が受験?え、冗談だよね?」

と返しました。そんな私でしたが、〇〇教育大附属といえば地域のトップクラス・・・という事だけは知っていました。

 

***************

こちらの地域では小学校の通知表は3段階評価なのですが、当時の私はほとんどの教科が「よくできる」ばかりだった事やテストでもほとんど満点しかとらなかった子でした。(自慢じゃないですョ、多分多くの方と変わらないと思います。)

絵画展や作品展があれば出品される事も多く、毎年賞状やメダルをいただいておりました。(それが今じゃただの凡人です、何の芽も出ませんでした(>_<))

 

そんな状態でしたので母は何かの拍子に受験を思いついたのでしょうかねぇ・・・?それとも学級委員や〇〇委員長をする事が多かったのでそんな発想に至ったのでしょうか。

 

母が亡くなった今となってはその理由を知る事は出来ませんが、とにかくそれからしばらくの間母の受験熱が続く事になりました。

 

 

私自身は正直うんざりでした。

 

せっかくできた友達と離れるのも嫌でしたし、当時は病的に朝起きる事が苦手だったので*1わざわざ遠くの学校へ通わなくてはいけないのが嫌だと言い続け、結局受験を回避したのでした。

 

 

自分を大切に出来なかった

でも本当の理由は自信が無かったからです。

 

良い通知表を持ち帰っても褒めてもらった事など一度もありませんでしたし、いくらテストで100点をとろうとも

「上には上がいるだろう。それぐらいで何を満足しているんだ?」

と両親ともに厳しい言葉しか返してくれませんでした。

 

いくらたくさん賞状をいただいても、全国でも上位の賞をとっても、結局褒めてもらえた事は一度もありませんでした。

「自分の為にやったんでしょ?他人に褒めてもらう為に努力した訳じゃないでしょ? 」

と。

 

これはもっと成長してから聞いた事ですが、天狗になって欲しくない一心で出る杭を打つかの如く私の自尊心を潰し続けたそうです。

そりゃ・・・高校生にもなっていればそうかもしれませんが、まだ小学生だった頃は褒めて欲しい気持ちを寂しく我慢するしかありませんでした。

 

***************

それに対して2歳下の弟は・・・いつも通知表に「がんばろう」がほとんど(というよりも「がんばろう」しかない)という大変な子でした(^^;)

弟が2年生の時、思わず母に

「この通知表どうなってるの!?」

と聞いてしまい

「しっ!言っちゃダメでしょ。本人は精一杯頑張っているんだから。」

と口にする事さえもはばかられる程ひどいものでした。

 

だからたまに「ふつう」があると両親共に大喜び。

私も褒めちぎっていました。懐かしいです。

 

けれど正直心の奥底ではどこかで羨ましい気持ちがあった様に思います。

”弟は男の子だから褒められるのかな。

私はどんなに頑張ったって、どんなに結果を出したって褒めてもらえないのは・・・可愛くないからなのかな。”

ずっとそう思っていました。

そして今でもそう思っています。 

 

確かに私は意固地で気が強く、時には大人を言い負かす程口が達者で、全然可愛げのない子どもでした。

 

 

***************

弟の通知表を見るまでは、成績なんてみんな「よくできる」がデフォルトだと思い、教科書を読めばテストは100点とれるものだと思い込んでいた私ですが、母も何となく同じ事を感じた様でした。

弟が学校に慣れた2~3年生になっても、一向に成績が上がらなかったんです。

 

何も手をかけなくても点数がとれる私と、どれだけ手をかけてもまともな成績にならない弟。

そうした日々の実感が母の私への受験熱に繋がったのだろうと思います。

 

しかし母の思いとは裏腹に、自分を信じる事が出来ない私は”受験なんてどうせ受かる訳ない・・・”と思い挑戦する事を拒んだのでした。

 

***************

ちなみに学級委員などを引き受けた理由ですが、当時推薦して下さった先生方や今もまじめに委員会活動などに取り組んでいるお子さん達には大変失礼な動機だとは思うのですが・・・当時は自己犠牲的な気持ちが大きかったです。

 

あの頃は自分の事を大切にする気持ちを育む事が出来ず、私自身は社会にとって何の役にも立たない人間だとしか思えていませんでした。だからせめてみんなが嫌がる美化委員長だとか学級委員をやっていた様な気がします。*2

 

こうして自己犠牲の様な事を考える思考へとどんどん進んでいってしまいました。

しかし物事は皮肉にも真逆に進んでいってしまうものなのかもしれませんね。

 

委員会活動の事や成績が上位だった事で周囲から優等生のように扱われてしまう精神的な負担は大変大きく、綺麗な話ではなくて恐縮ですが、常に過敏性腸症候群を抱え込み・・・お通じは10日に一度あるかどうか、しかも強烈な腹痛を伴い大変苦しむ事になりました。

 

 

***************

親になってわかった事ですが、もし息子が同じ様な事で苦しむなら・・・無理に誰かの役に立つ生き方なんかをしなくても良いと思うんです。精一杯自分の好きな事を見つけて自立して生きてくれれば、そこに何かの希望を感じて下さる方もいらっしゃるかも?と思うんです。それこそがきっと社会貢献になるんじゃないかな、なんて受け止め方をしています。

 

それに成績だって今の成績が全てではないですから。

 

小学生の間に家庭で身につけさせてやりたいなと思っている事って、

  • 早寝早起きをして太陽光を浴びる
  • 毎食おいしく食べる
  • 歯磨きや排泄の習慣
  • お風呂
  • 立つ・歩く・座るの正しい姿勢

案外こんな程度なんですよね。健康な生活スタイルを確立すればあとは自分で好きな事を貫き通す事が出来ると思うんです。

 

私が当時ここまで思いつめたのは思春期だったからかもしれないし、こうした生活習慣が身についていなかった影響もあるかもしれませんね。

 

 

後悔先に立たず

親の思いを無下にした私でしたが、実際に中学へ進学してみるとすぐに後悔の嵐でした(T_T)

友人たちも何だか大人びてしまい、男女の面倒なあれやこれやが始まってしまうのです・・・。

 

色めき立つ周囲に『私はそうした事に興味がないから敵意を向けないで!』と示す事に大変な労力を使い果たしてしまい、学業はどこへ・・・と途方に暮れる毎日。

 

そして日常的な先輩後輩のあれこれ。

 

あとはクラブ活動でのレギュラー争い・・・うっかり1年生で2~3年生を差し置いてレギュラーになった日にはもう・・・学校に行くのが地獄の様な苦しみで、毎日毎日泣き暮らす事になってしまいました。

 

 

本当に面倒でした。

troublesome・・・troublesome・・・

 

いつしか出る杭にならない様に、クラブも一年生の夏休みには退部し成績も活動もあまり派手にならない様に自分を抑えて生きる様になってしまいました。

 

”あの時、お母さんの言う通り受験しておけばこんな事にならなかったのかしら・・・”

 

後々何度も何度もこうした後悔を繰り返す事となり、中学校生活はただただ苦痛な時間を過ごす事となりました。*3

 

 

女子高パラダイスw

絶望の3年間を終え、高校は私学の女子高を選びました。

特待生として学費を一部免除していただけた事や文系に特化した学習スタイルが何だか楽しそうだったので親に無理を言ってお願いしたんです。

 

はい、ぶっちゃけここは奇人変人のパラダイスで、近隣他府県のかなり尖った才能の持ち主が集まる高校でした(笑)

 

私はここでようやく自分が特殊な人間ではなく、ただの凡人として生きていく事が出来る様になったのでした。

 

まるで五味太郎さんの絵本

「きんぎょがにげた」

で最後にもう逃げなくて済む瞬間が来たのと同じで、同じ仲間たちに合流し、もう自分を隠して生きていかなくても良くなったのです。

 

まさに地獄から天国でした。

 

 

 

*1:おそらく私自身も息子と同様メラトニン関連の困難さがあるのだと思います。それも30代中頃の息子の睡眠管理に付き合っている間に自然と改善された感じです。

*2:ただ、きっかけは消極的な理由でしたが、実際やってみるとどの委員もとてもやりがいのある仕事だというのがよくわかって良かったなと思っています。今でも地域の美化活動なんかが好きで、時間があれば怪しまれない程度に楽しくお掃除させてもらう事もあります♪

*3:部活を辞めた後の逃げ場は生徒会室となりましたが、その辺りの話はまた別で書ければいいなと思っています。

自己肯定感を育てる必要性。過不足のない自信へ ―前編―

※またまた脱線話ですので読み飛ばして下さ~いm(_ _)m

夏休み中に叱りすぎた事もあり、しばらくは叱らなくても済む接し方で息子に向き合おうと思ったきっかけについての記録です。

 

 

熱帯スイセンの楽園

先日こちらの地域ではかなり大きな台風があり、倒木や停電の被害が中々解消されない地域も。でもここ最近はそうした影響も落ち着いてきましたので、ずっと気になっていた地域の植物園へ行ってみる事にしました。※去年の台風で貴重な杉が倒木してしまったので、今回の台風ではどうなったのかずっと気になっていたんです。

 

 

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園内に入ってしばらく歩くと熱帯スイレンが見頃をむかえていました。

 

スイレンそのものの美しさもありますが、水面に映る風景のあまりの美しさに30分程足を止めて考え込んでしまいました。

 

こうして空や雲が写り込む景色の中に咲くスイレンは天上に咲く花のよう。

 

”楽園って、天国ってこんなところなのかしら。

亡くなった母もこうしたところで心穏やかに過ごせていたらいいな。”

 

私は無宗教なので死んだ後があるかどうかは正直知らないのです。が、痛がる様子や早くに旅立たなくてはいけなかった母の無念さを傍で見ていたので、十数年経った今もこうした景色に触れるとふと母を思い出してしまいます。

 

 

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母子の関係って、子どもを独立させたら終わりじゃないんですよね。

 

ずーーーーーーっと、ずっと、それこそ一生何かの折に触れ記憶だとか教わった事を思い出してしまうものなんですね。良い事も悪い事も全部。

 

もし良い事を伝えられたならば一生大切にしてくれたら嬉しいな。

でも逆に悪い事や間違った手立てを伝えてしまったならば・・・この子は間違っている事を認識し、正しい理解を習得しなおさなくてはいけません。

 

古い慣習や間違った思い込みを変えていく事は普通の人でも難しい事ですよね。

それが一度インプットされてしまった事は修正し辛い特性のある人にとってみれば、とても大変な労力が必要でしょう。

 

その時一緒に居てくれる周囲の人達の為にも、出来るだけ修正は少なくて済む様にしていかなくてはと思うのです。

 

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だから今を、一瞬一瞬を大切に。

息子と対峙している時は誠心誠意を込めて接する様にしなくては。

それが今度は息子の育児の糧となるはずですし、もっと言えば私たち母子間の関係だけでなく息子の対人関係の基礎になるはずだから。

  

もし私が息子に横暴な態度をとれば、息子は他人様に同じことをするでしょう。

もし私が息子に愛を向けて慈しめば、息子もいつかきっと他の人にも同じ様に接する事が出来る様になればいいな。(これはもちろん私の勝手な希望ですけれども。)

 

 

 

叱りすぎた夏

実はこの夏、かなり息子を叱りすぎた傾向にありました。

それは去年の今頃とは全然違う悩みで、ある意味予想を裏切る程に成長していく息子と反比例する様な事でした。

 

 『逃げ癖』のある母子 で書きましたが、成長とともに辛い事から逃げようとする癖がどんどん酷くなる様子を目の当りにし、私も追い打ちをかける様に追い詰めすぎた事がありました。

 

でもね、本当は”逃げたい自分の気持ち”に気付けた事って相当な進歩だと思うんです。去年の夏休みはもっと宿題が多かったのですが、それを私が立てた計画の通り言われるままにこなしていた様子でしたから。(去年も本当は逃げたい気持ちを抱えていたのに、それに気付けていなかっただけなんじゃないかな?と思っています。)

 

この気持ちに気付けたからこそ逃げずに対応していく術を一緒に考えていけるスタートラインにようやく立とうとしているのだと思います。なのに頭ごなしに叱りすぎるとただ自己肯定感を下げるだけです。

 

じゃあどうして自己肯定感を育てなくちゃいけないのか・・・?

その辺りを次回にまとめさせて下さい。

受験にまつわる、母と私の葛藤の日々を記録しようと思っています。

 

 

 

※今回は「自分自身は無宗教です」と言いながらもかなり思想的?に偏りのある内容になってしまったような気がしています(^^;)うまく書けなくてスミマセン。私自身がこうして育児を通じて現実的な価値観から少しづつ精神的な価値観へ移行してしまっている事で物質的な世界や現実的な価値観に生きる夫との間に簡単には埋めきれない大きな溝が出来つつあると感じているんです。

あまりに赤裸々が故に躊躇する気持ちはあるものの、そうした事も記録しておかなくてはいけない気がしています。何年か経った時に「この記事は無駄でした」って笑えているといいのですが・・・こうした二者間における心の大きな乖離には決定打など実はないかもしれない、日常的な微細な心の動きによって少しづつ離れていった結果かもしれないという事をどこかに書き残したいと思っているからです。

よく言われますが自閉症児を抱える家庭は両親が離れ離れに生きていく事を選ぶ率が高いとの事ですね。もしかするとこうした夫婦間の心の動きを記録する事も後々の検証に役立つのではないかと考えるからです。男性のもつ現実的な視点ももちろん大切ですし、かといってこうした特性の子を育てていると子どもの精神世界を理解する事も大切な鍵になってくると思うんです。後は両者にお互いを思いやる力が残されていれば関係は保てると思うのですが、現実として難しいところも正直あります。

もしこれが何かのヒントになればと思い書き残す事にしました。