ぎゅっぎゅっ、な毎日?

『ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記』(http://let-me-pick-you-up.hatenablog.com/)から派生した今現在の我が家の日記です。

自己肯定感を育てる必要性。過不足のない自信へ ―前編―

※またまた脱線話ですので読み飛ばして下さ~いm(_ _)m

夏休み中に叱りすぎた事もあり、しばらくは叱らなくても済む接し方で息子に向き合おうと思ったきっかけについての記録です。

 

 

熱帯スイセンの楽園

先日こちらの地域ではかなり大きな台風があり、倒木や停電の被害が中々解消されない地域も。でもここ最近はそうした影響も落ち着いてきましたので、ずっと気になっていた地域の植物園へ行ってみる事にしました。※去年の台風で貴重な杉が倒木してしまったので、今回の台風ではどうなったのかずっと気になっていたんです。

 

 

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園内に入ってしばらく歩くと熱帯スイレンが見頃をむかえていました。

 

スイレンそのものの美しさもありますが、水面に映る風景のあまりの美しさに30分程足を止めて考え込んでしまいました。

 

こうして空や雲が写り込む景色の中に咲くスイレンは天上に咲く花のよう。

 

”楽園って、天国ってこんなところなのかしら。

亡くなった母もこうしたところで心穏やかに過ごせていたらいいな。”

 

私は無宗教なので死んだ後があるかどうかは正直知らないのです。が、痛がる様子や早くに旅立たなくてはいけなかった母の無念さを傍で見ていたので、十数年経った今もこうした景色に触れるとふと母を思い出してしまいます。

 

 

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母子の関係って、子どもを独立させたら終わりじゃないんですよね。

 

ずーーーーーーっと、ずっと、それこそ一生何かの折に触れ記憶だとか教わった事を思い出してしまうものなんですね。良い事も悪い事も全部。

 

もし良い事を伝えられたならば一生大切にしてくれたら嬉しいな。

でも逆に悪い事や間違った手立てを伝えてしまったならば・・・この子は間違っている事を認識し、正しい理解を習得しなおさなくてはいけません。

 

古い慣習や間違った思い込みを変えていく事は普通の人でも難しい事ですよね。

それが一度インプットされてしまった事は修正し辛い特性のある人にとってみれば、とても大変な労力が必要でしょう。

 

その時一緒に居てくれる周囲の人達の為にも、出来るだけ修正は少なくて済む様にしていかなくてはと思うのです。

 

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だから今を、一瞬一瞬を大切に。

息子と対峙している時は誠心誠意を込めて接する様にしなくては。

それが今度は息子の育児の糧となるはずですし、もっと言えば私たち母子間の関係だけでなく息子の対人関係の基礎になるはずだから。

  

もし私が息子に横暴な態度をとれば、息子は他人様に同じことをするでしょう。

もし私が息子に愛を向けて慈しめば、息子もいつかきっと他の人にも同じ様に接する事が出来る様になればいいな。(これはもちろん私の勝手な希望ですけれども。)

 

 

 

叱りすぎた夏

実はこの夏、かなり息子を叱りすぎた傾向にありました。

それは去年の今頃とは全然違う悩みで、ある意味予想を裏切る程に成長していく息子と反比例する様な事でした。

 

 『逃げ癖』のある母子 で書きましたが、成長とともに辛い事から逃げようとする癖がどんどん酷くなる様子を目の当りにし、私も追い打ちをかける様に追い詰めすぎた事がありました。

 

でもね、本当は”逃げたい自分の気持ち”に気付けた事って相当な進歩だと思うんです。去年の夏休みはもっと宿題が多かったのですが、それを私が立てた計画の通り言われるままにこなしていた様子でしたから。(去年も本当は逃げたい気持ちを抱えていたのに、それに気付けていなかっただけなんじゃないかな?と思っています。)

 

この気持ちに気付けたからこそ逃げずに対応していく術を一緒に考えていけるスタートラインにようやく立とうとしているのだと思います。なのに頭ごなしに叱りすぎるとただ自己肯定感を下げるだけです。

 

じゃあどうして自己肯定感を育てなくちゃいけないのか・・・?

その辺りを次回にまとめさせて下さい。

受験にまつわる、母と私の葛藤の日々を記録しようと思っています。

 

 

 

※今回は「自分自身は無宗教です」と言いながらもかなり思想的?に偏りのある内容になってしまったような気がしています(^^;)うまく書けなくてスミマセン。私自身がこうして育児を通じて現実的な価値観から少しづつ精神的な価値観へ移行してしまっている事で物質的な世界や現実的な価値観に生きる夫との間に簡単には埋めきれない大きな溝が出来つつあると感じているんです。

あまりに赤裸々が故に躊躇する気持ちはあるものの、そうした事も記録しておかなくてはいけない気がしています。何年か経った時に「この記事は無駄でした」って笑えているといいのですが・・・こうした二者間における心の大きな乖離には決定打など実はないかもしれない、日常的な微細な心の動きによって少しづつ離れていった結果かもしれないという事をどこかに書き残したいと思っているからです。

よく言われますが自閉症児を抱える家庭は両親が離れ離れに生きていく事を選ぶ率が高いとの事ですね。もしかするとこうした夫婦間の心の動きを記録する事も後々の検証に役立つのではないかと考えるからです。男性のもつ現実的な視点ももちろん大切ですし、かといってこうした特性の子を育てていると子どもの精神世界を理解する事も大切な鍵になってくると思うんです。後は両者にお互いを思いやる力が残されていれば関係は保てると思うのですが、現実として難しいところも正直あります。

もしこれが何かのヒントになればと思い書き残す事にしました。