2年生なりの将来の夢
18歳で世界へ飛びだす
先日息子と話をしていたら、
「ボク、18歳で世界に出る。世界の大学で恐竜とかの勉強する!」
というので
「そうなんだ。いいよ、いってらっしゃい。それじゃあ英語を勉強しなくちゃね。」
と伝えると、
「うん、勉強するよ。」
との事。
どうもクラスで恐竜に詳しいお子さんがいる様で、負けたくない気持ちが芽生えたからだそうです。ふ~ん、周りのお子さんに対して意識し始めたんだなぁ・・・と思いました。
「じゃあ、ご飯とかどうするの?お母さんも一緒に行けばいいの?」
と試しに聞いてみたところ、
「いや、僕一人で行くから。」
と随分頼もしい返事です。
「じゃあ勉強も自炊の練習もしなくちゃね。18歳なんてすぐだよ、頑張ろうね。」
と伝えてみました。
※来年はどんな夢に変わっているかわかりませんが、記念に記録しておきます(笑)
だから今年のクリスマスのプレゼントは恐竜図鑑にしました。2冊のうち1冊は英語で書かれた子ども向けの図鑑にしてみようかと思っています。(まだ届いていないので、届いたら記念に写真をUPしてみます。クリスマスから2週間程度で無事届きました☆*1)
クリスマスなので
特に何もないのですが折角の機会ですから少しだけ今の心境や状況を。
実は、こちらのブログではもうほとんど書き残しておきたい内容が無くなってきてしまいました。
って唐突ですよね(^^;)
お読み下さっている方の中には、発達障がいの息子が1年生で不登校に陥ってしまった経緯を覚えて下さっている方もいらっしゃると思うんです。
そうした皆様の中には『いったいどの様に不登校が解消されたのか?』を気にして下さっている方もいらっしゃるかも?と、もちろん思ったりもするんです。
でも息子の2年生の事については何も記録を残さない事に決めました。
誰かに話したくない程、とても大切な1年になったからです。
だからこの記憶は私の頭の中だけに残しておこうと思っています(笑)
復帰への道のりをざっくりお伝えするならば、
”学校や担任の先生が息子やクラスメイトのみんなの事をとても大切に丁寧に見て下さった結果、息子は学校へ通う楽しみを知りました。
凸凹のある息子ですから一筋縄ではいかない事もまだまだ沢山あります。
でも、色々ありますが本人も家族も楽しく過ごせております。”
こんな感じです。
ざっくりすぎてすみません(^^;)
それに、どうやら息子の事よりも私自身の周辺がどうも慌ただしくなりそうな予感がするのです。離婚問題とかではなく(笑)、どうもライフワーク的な何かが始まる様な動きになってきた様に感じています。
動きたい時に自由に動ける為にも、こちらのサブブログは今年度で定期的な更新を終えようかなと思い始めてきました。
という事で、あと残りどんな事を書き残せるかわかりませんが、過去の記事などを振り返りながら書き残しが無いようにもう少しだけ続けさせていただければと思っています。
一番古い記憶(私の回顧録)
今日は探し物クイズからはじめてみたいと思います。
下の写真に四つ葉のクローバーが2つあります。
別に目の運動などのつもりではないのですが、たまに気分転換もいいかな?と思いまして。良かったら探してみてくださいネ。(答え合わせは後ほどです)
(私の)他害のキモチ
今日は私自身の振り返り記事を書かせて下さいね。
この記事を以前のブログに書いた頃、息子は当時4歳を少し過ぎた頃で、幼稚園で他害とまでは言いませんが少し他人を脅かすそぶりを見せ始めた事があったんですね。
そんな息子の様子への対応に悩んだ時に、私自身の幼少期を思い出して対応を考えるヒントにした事がありました。
その時の記事をリメイクしてUPさせていただこうと思います。
そのころの息子と言えば、幼稚園生活の中で周囲に誰かがいる事に気付き始めた時期。
他人に何かを伝える機会が増えたからでしょうね、たくさんおしゃべりをしてくれる様にはなっていったんです。
ただ、そんな中にも気になる点が・・・。
他害の始まりと時を同じくして息子の助詞の使い方が微妙な部分がある事に気付き始めたのでした。(特に使役の助詞)
本人からどんな事があって相手を排除しようとしたのかを問いただしても「誰が」や「誰を」といった部分への理解が曖昧で、本人の説明と先生からお聞きしている状況とは真逆の捉え方だったりするのです。。。
(結局他害自体は「自分がされたら嫌だから」という理由で叩く事はなかった様ですので、ホッと胸をなでおろしたのでしたが、助詞の使い方は就学頃まで悩み続ける事になりました。)
こんな調子でしたから、本人からの聞き取りも大切にしながらも、息子自身の気持ちになって考えてみたくなって、自分自身の子どもの頃の記憶を辿る事にしたんです。
って、普段は偉そうにこんなブログを書かせていただいている私ですが、今日の内容は昔の私の他害の記憶です。(お恥ずかしながらそんな事をした事もあったのです。)
本当は恥ずかしくて書きたくないのですが、こうした記憶が子どもの心に迫る気付きになればと思い記録に残させていただきますね。
といいましてもダークな表現の部分もございますので、苦手な方はスルーして下さい。
一番古い記憶―弟が生まれた事
私の一番古い記憶は・・・1歳11ヶ月の記憶という事になります。
祖父母の家で父から「弟が産まれたよ!」と聞いた時、小躍りして
「○○ちゃん(←自分の名前)*1の赤ちゃん、○○ちゃんの赤ちゃん!」
とヒラヒラ踊って喜んだ記憶があります。
それまでに「赤ちゃんって何?」と聞くと、「お友達みたいなものだよ。」と父に聞いていたものですから、『弟が生まれたら毎日遊べる、お友達と遊べるんだー!』と思い込んでいたのでとても嬉しかったのです。
・・・
でもそんな嬉しい気持ちはすぐに薄らいでいきます。
当たり前ですが、弟は赤ちゃんでしたから(笑)弟が生まれた現実の日々は、私が思い描いた楽しくお友達遊びが出来る毎日とは程遠くかけ離れていたのでした。
そんな弟と一緒に遊び始めたのは弟が1歳を過ぎた頃でしょうか。
といってもまだ本格的には遊べない弟とそのお世話に必死な母親とは当時少し距離を置いていました。
「忙しいから外で遊んできなさい」と母親に言われ、そーっと家を出る日々でした。3歳頃の事です。
当時はまだ子どもがたくさんいた時代です。
外に出ると必ず誰か同じ年齢のお友達がいました。(同じ様な境遇のお友達がたくさんいた、という事の裏返しでもあります(笑))
幸いにもお向かいさんやご近所に同じ年齢のお友達がたくさんいましたのでその子達と家の前で遊ぶ毎日でした。
住宅街で日中は車の通りも全くなく、ご近所のお母さん方は3歳過ぎの子どもであれば同じ様に子どもだけで外で遊ばせていました。現代では考えられないくらい大らかです。
(といっても順番制の様な暗黙の了解があったらしく、誰かしらのお母さんが数人立ち話をしていて近所の子ども達を見守ってくれていました。郵便屋さん等のバイクがくると注意してくれたりと、そういった役割の方がいたからこそのびのび遊べたのです。そういえば私の母親もたまにそうして外で見てくれていました。)
ちょうどその頃、お友達同士でこんな遊びが流行りました。
「私3歳!」
「ボクも3歳!」と順に言い合うのです。
そして私の番が来るのですが、内心は
『全員同じ歳なんだから3歳に決まっているのに・・・』と思いながらも
「私も3歳・・・」と小さくつぶやく自分がいました。
同じ年齢でも少し月齢が早かった為か、同い年のお友達とのこうしたただ言い合うだけの遊びに発展性がない事がつまらなく感じ、その辺りから年上のご近所のお姉ちゃん達に遊んでもらう様になりました。*2
このお姉ちゃんたちに着せ替え遊びやごっこ遊びをたくさん教えてもらい、こうした遊びを通じて「こう言われたらこう返事する。」といった社会性ややり取りを教えてもらいました。
今の時代ではそうした交流のチャンスが減っているのかもしれませんが、私自身はお姉さん達の仲間に入れてもらえた事で少し大人びた気分になれた事や、やり取りの遊びが楽しくて仕方ない毎日でした。
***********
そうこうしている間に弟が2歳を過ぎ、
ようやく毎日楽しく一緒に遊べる様になりました(笑)
私は遊びが大好きでしたので、表面上は弟と毎日キャッキャ言いながら楽しく暮らしていました。
でもそれまでの間の母親や弟に対する不満がずーーーーーーーっと心の奥深い所にあったのです。もっと甘えたい気持ちや、母親の手を独占する弟に対する不満です。
4歳のある日、それが爆発しました(笑)
弟に手を出す
ある日、弟と2人で布団に入ろうという頃…
弟が何か機嫌を損ねて私に癇癪を向け始めました。理由も思い出せない様な他愛もない事だったと思います*3。(というか単に眠かったんでしょうね^^;)
弟の癇癪を私が受け止めなければいけない事に耐えられず、自分の中で何かがプチっと切れたのを覚えています。
それまでの何年かの鬱憤がとうとう溢れ出してしまったのです。。。いくら近所のお姉ちゃん達が優しくしてくれたからといって、それと母親からの愛情とはまた別物だったのです。
”弟を泣かせてやりたい、一撃で必ず弟を懲らしめてやる”という思いから、何を血迷ったのか弟の顔の一部を叩いてしまいました。
(うわーーー、ダークな表現ですみません・・・。)
もちろん弟は非常に激しく泣きました。
すぐに母親は駆けつけ、事情を問いただしましたがすぐに理解したのか弟の手当てとなだめるだけで私を責めませんでした。
母からかけられた言葉は「もう4歳のおねえちゃんなのに・・・。」という言葉だけでした。
”弟は幼いのだから、癇癪を起こしても仕方ない・・・”と内心はわかっていたので、攻撃する時に躊躇といいますか、加減をしたので幸いにも弟は目を閉じた状態で大事には至りませんでした。
(・・・全然幸いじゃないんですけれどもね。)
弟にケガがない事を確認した上で私達を寝かしつけた母親でしたが、翌日も私を責めませんでした。しかし責められなかった事で、私はかえって事の深刻さを私自身で理解する事になりました。
母親にしてみればずっと弟にばかり手をかけざるを得なかった事で私の不満は理解していた様です。
だからあえて私を責めなかった。
他人を傷つける事はいけない事といつも口すっぱく繰り返して来た母親。
普段ならかなり厳しく叱りつける人でしたので、今回はどんなに怒られるのだろうとある意味期待していたのですが予想が外れました。(怒られても良いから少し構って欲しかった気持ちもありました。)
***********
母親に責められなかった事で、私は逆に自分自身を強く責めました。
そして『他人を暴力で傷つける事は絶対にしてはいけない事』なんだと悟りました。
こうして私は弟に一生謝り続けなければいけない気持ちを心に抱える事に。これ以来、私は弟をとても大事にする様になりました。
その後しばらくはビクビクしていた弟も、気付けばいつも
「おねえちゃん、おねえちゃん!」と良く懐いてくれ、いつも仲良しの姉弟と周囲から言われる様になりました。
この私の経験から、他害はいけない事なのですがその時に
・悪意があるかどうか?
・ただ相手に来てほしくない時に嫌だと言葉で言えずに手で押し返しただけなのか?
・”もし手ではなく言葉で伝えるならどんな感情だったのか?”
他害をするまでに至った気持ちを大人側が見抜ける様になれば改善の手立ても早く見つかるのではないかな?と思ったりしています。
***********
余談ですが、母が他界した後にいつも思う事は、
”お母さん、素敵なプレゼントを私に残してくれてありがとう”という気持ちです。
なぜなら、弟は母が残してくれた一番の宝物だからです。
(しかし母、まだ2歳の弟を姉と二人で寝かせるのは少しスパルタ過ぎやしないだろうか・・・?)
ではでは四葉のクローバーの正解の発表です(←そんな大げさな・・・^_^;)
写真の上の方と下の方にありました♪
楽しんでいただけたら幸いです(*^^*)
このブログのサブテーマなどですが、
サブブログのサブテーマ
もともとメインブログをお読み下さっている方からすれば昨日↓書きました様な夫婦間の問題や
let-me-pick-you-up-d.hatenablog.com
私の過去の話を書き連ねられても・・・と困惑される方もいらっしゃるかもしれませんね。
もともとは発達障がいをもつ息子の過去の様子をメインブログに、現在の様子をこのブログで記録させていただくつもりではじめたのですから、
”お母さんの話を書かれてもなぁ。”
と思われても当然です。
なので、このタイミングで書く理由を少しだけ述べさせて下さいネ。
************
このサブブログの主な目的やテーマは、
『色々あるけど、息子は元気でやってます!』
という事をお伝えする為です。
もちろんそれが大切な目的なのですが、いつしか書きながら息子の母である自分の事を振り返る機会が増え、その中で色々な事に気付いたのです。
・私の母も、今から思えばおそらくアスペルガーに近い様子が見られた事。*1
・そして私もADHDに近い不注意や多動・衝動がある様に思う事。
・夫にもおそらく何か特性らしき事が見受けられる事。
こうした点から、
”親子が共に発達障がいの場合の育児”
という視点を書き残しておきたい意図を持つようになりました。
又、特に私など女性の特性者の場合、気付かれにくいという事があるかもしれませんが、養育者が「(大変だなぁ)」とは内心で思う事があったとしても、力技で何とか乗り切る事が出来る・・・のかもしれません。
が、その家庭ではやはりなかなか他人からわかってもらえない辛さなどを抱えて成長する訳ですから、本当の意味での心の教育や特性ならではの心の傷に気付いてもらえない事が多くあると思うんです。
その事を誰かに知って欲しかったのです。
そうした女性は知らず知らずの内に重ねた心の傷を抱えたまま、大人となりやがて母となってしまった時、自分の子どもが発達障がいであったとしても自分が子どもの時にされた育児を繰り返してしまうと思われます。
だからもう一つのサブテーマが
”母になる女性に向けた、本当の女性のための教育”
なのです。
母となった時に一人で悩み辛い思いをしない様に、どんなバックアップが受けられるのか?どんな人を頼ればいいのか?そんな社会的機能や教育の在り方を読んで下さったみなさんがそれぞれに今一度考えてみる機会になれればと思うんです。
その為、回顧録などで特性めいた内容ですとか、夫婦間や昔のクラスメイトとの確執などを記録している訳です。
もしよかったらそんな視点で見ていただけると幸いです。
*1:冗談が通じなかったり、自転車がこげなかったり運転が出来なかったりでシングルタスクや粗大運動の苦手さが見られた事など・・・思い当たる節がたくさんあります。
恐らく・・・ダブルカサンドラ症候群。
私の事情
ダブルカサンドラ症候群なんて言葉があるかどうかわからないんですが、私たち夫婦は夫と私の双方がそれぞれカサンドラ症候群状態(カサンドラ症候群 - Wikipedia)なのかもしれない、と気付きました。
ネット上のどこかで読みましたが、双方に自閉的な傾向がある場合はカサンドラ症候群とは言わないのだそうです。確かに私たち夫婦には双方にそれぞれ何かしらの特性があると思いますので、ダブルカサンドラ状態なんて言葉は不適切かもしれません。
しかし私たち夫婦間においてはこう思うんです。
共感して欲しい私と他人に自分の感情の中に踏み込んでほしくない夫(つまり共感して欲しくないって事になるかもしれません)との心のベクトルの向きがあまりにも違い過ぎる事が、お互いを傷つけ合っているのではと思うんです。
夫はいつからかはわかりませんが、少なくとも私自身がここ2週間ほどの中でカサンドラ症候群を発症してしまった様です。
************
きっかけは、私がうっかりしてて救急病院へ駆け込む事態になった際に夫からかけられた暴言でした。
こちらの状態や顔色、声色をなにも見ずに冷たく吐き捨てられた夫からの一言。
ショックや咄嗟の出来事で返す言葉もうまく出せないまま一人病院へ駆け込んだあの夜、病院を後にした時、夫への愛情が一切なくなり再び気持ちが戻る事はないだろうと感じました。
おかげ様で症状としては大したことなくその日の内に帰れたのですが、家に帰りたくなくて一人の時間を過ごす中で、今まで結婚以来ずっとずっと押し殺して気付かないふりをしていた感情に気付きました。
************
もうすぐ夫と結婚して10年になりますが、この10年、無意識のうちに出来るだけ夫以外の人と関わる事は避けて過ごしてきました。
それは・・・誰かと会話したりアイコンタクトで共感を得られてしまえば、きっと夫との生活が辛くなる予感がしたからです。例えそれが同性の方であってもです。
夫との生活の中に足りなかったのは、共感の中で育まれる情緒的充足感でした。
私がどれだけ求めても・・・夫にはそうした要求は無い様子で、共感が返ってくる事はありませんでした。
食事時も団らんの時間も夫が見つめるのはテレビだとか動く物だとか、見る対象がはっきりしているものばかり。
目の奥底にある私の感情や心なんて、目に見える様な形あるものではありませんよね。きっと夫にはわかりにくかったのかもしれませんね。
そのうち子どもも生まれ、生まれた子は生後1年程度で発達のちぐはぐさを感じる様になり、この子に幸せな生き方をさせてやりたい一心でここまで必死に模索し続けた毎日。
いつしか夫に私の感情を共有を求める事は・・・しなくなりました。
だから尚更出来るだけ外を見ず、家庭の中にある小さな喜びや感動の中でそっと生きてきた様に思います。
************
それが今年に入って、息子に関わる環境が改善したり、自治会の方々と仲良くお話しする機会が増えていく中で、私の話を聞いてくれる方や私と同じ思いを感じてくれている事を示して下さる方など、たくさんの方々のご厚意に触れる機会が増えてしまったんですね。
去年まではどれだけ学校にお伝えしても何一つ共感してもらえなかった事がまるで嘘の様。
息子を受け入れてもらえた事で私自身もたくさんの方々に精神的に救われたのです。
誰かと目と目でアイコンタクト出来る喜びや
感情を共有できる喜びは
私の乾ききった心に沁み渡る様でした。
”ずっと誰かと心で繋がりたかったんだ”
いつしか顕在意識レベルでそう自覚する様になりました。
夫の事情
そんな状態での夫からの暴言。
友人に相談しても
「そう言われるだけの理由があなたにもあるんじゃないの?」
と一蹴されてしまいました。
もしそうならば、きっと私たち夫婦はお互いに凸凹とした特性がある様ですので、それぞれがお互いに深く傷付け合って生きてきたのかもしれません。
確かに、夫は口頭指示が通じにくいのはわかっているのですが、だからといって視覚的にわかりやすく書いて伝えるとプライドを傷付ける事も多く、私としても要求や今やらなくちゃいけない事をついつい強い口調で言い捨ててしまっています。
(子どもの事が手一杯だった頃からの名残で、心のどこかで”大人なんだから指示待ちしないで欲しい”とか”自分で今この状況で求められる事を考えて動いて欲しい”という強い憤りの感情を強い口調で表現してしまうのだと思います。)
こうした私の態度に、夫は長年傷つき萎縮してしまったのかもしれませんし、それが尚更態度を硬化させてしまい感情の交流や会話のない夫婦へと陥ってしまったのかもしれません。
************
カサンドラ症候群はどちらかに発達障がいの確定診断がなければ診断されにくいそうですが、確定診断してまで前に進みたいかどうか・・・悩んでしまいます。
子どもの事を思えば夫との関係を改善した方がいいにきまってます。
それにもし夫婦としての情があるなら、「子どもにしてきた様に夫にもアスペルガー症候群向けの対応をしてみたら改善しそうじゃない?」と思われそうなのですが・・・。
とても言いにくいですが、私にもAll or Nothing的な考え方がありまして・・・一度でも”許せない”、”嫌い”と思ってしまったら・・・もう二度と好きにはなれないと思います。(もちろん今回の事だけでここまで嫌になってしまった訳ではなく、色々な経緯の上に更に今回の事があったのだと事情を汲んでいただけると幸いです。)
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専門医を探して夫婦でカウンセリングを受け、新しい未来を模索するのも大切かもしれませんが、もういい大人が変わる事ってとても力が必要な事ですし、そんな努力をするよりもお互いが一定の距離を保って生きていく事の方が現実的なのかもしれません。
どうなるかはわかりませんが、そんな理由でうまく感情をまとめられない日々を過ごしています。
文字がマス目に収まらない・・・orz(原始反射やモロ反射など)
今日はずっと以前に息子の書字が困難な状況をお伝えしたまま続きをかかずに約半年程放置・・・してしまった↓原始反射に関する内容の続きです(^^;)
let-me-pick-you-up-d.hatenablog.com
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皆様は”原始反射”というのをご存知でしょうか?
原始反射とは簡単にいえば生まれながらにして備わっている反射や動き。
赤ちゃんが自分の身を守る為に生得的に備わっている機能です。
まだ未熟な赤ちゃんが授乳中に落ちそうになると咄嗟に何かにしがみつこうとする動きや、唇に何かが触れた時に触られた方に向いて吸いつく反射などがあるそうです。
しかしこうした反射は、いつまでも続くわけではありません。
前頭葉などの大脳の発達により次第に別の機能により抑止されていくのだそうです。
ですから・・・
つまりずっと残っていると不都合が生じちゃうんだそうです、逆に。
例えばそれは
”力加減ができない(強い)”、であったり
”乗り物酔いしやすい”、あるいは
”子ども同士より大人や年上とのかかわりを強く求める”
といった様に、内容は多岐にわたり様々。
中には
『えっ?これって性格的な部分なのかと思っていたけれど・・・?』
なんてものまで原始反射の残存が影響している可能性があるそうです。
※ちなみに↑上記内容は
「こころとからだの発達・学習支援 一般財団法人ここからだ」さんの「原始反射指数自己診断テスト」チェックリストからお借りしました(http://genshihansha.jp/check)。
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最初に気付いたのは
let-me-pick-you-up-d.hatenablog.com
こちらの過去記事を書く少し前でした。
学校からいただいてくる漢字の宿題で、字がマス目に収まりにくい事に気付いた事からでした。
あれこれと調べていくうちに
「目と手の運動協応:字がマス目におさまらない」(レデックス株式会社)
(https://www.ledex.co.jp/mailmag/20150327)
という記事をみつけたのです。
モロ反射が残っていると書字が困難になる、という事を詳しく書いてくださっているのですが、途中で例として挙げてあった点結びの課題・・・迷路のようなイラストの中にある点から点をえんぴつでたどる、という課題なのですが、試しにやってみるとうちの子もどうやら同じ状態。枠からはみ出さずに・・・書く事が出来ていない様子でした。
そういえば息子は迷路やてんつなぎといった遊びが大好きなのですが、確かにえんぴつなどで線を書き加える時は枠内からはみ出しまくっていました(^^;)
『あぁ・・・これだったんだぁ・・・字がマス目に収まらない理由は。』
という事で恐らく息子にも原始反射(モロ反射)が残っていると仮定。
早速学校から帰宅した息子に、同じサイト内にあったモロ反射の残存チェックが出来るという動きを息子にさせてみたところ、残っていると思われる動きをしていました。
ちなみに、もしモロ反射が残っている場合は、こちらのサイトによりますとこのチェックと逆の動きをさせていけば良いそうです。
たま~にこうしたチェックと原始反射を統合していく動きをさせていきたいなぁと思いました。
歌を捨てた過去(私の回顧録)
※先にお断りさせていただきますが、今日は息子とは一切関係ないお話になってしまいました(^^;)なのでご興味のない方は読み飛ばして下さい。(どうして息子に関係のない私の過去の話ばかりするのかは、近いうちにでも書かせていただければと思っています。)
先日のメインブログの冒頭で更新が出来なかった旨を書かせていただいたのですが、
let-me-pick-you-up.hatenablog.com
その事情とは、いわゆるママさんコーラス(?)に参加していた、という経緯でした。
今年は”私、こんな事にも参加出来る様になったんだ~!”と思う様な経験ばかりさせていただく事が多く、そうした面からも息子の成長をとても感じる一年となっています。
ただし、このコーラスですが・・・とっても楽しかった半面、とても辛い記憶を思い出すきっかけとなりました。
歌うと叱られた日々
私、小さい時から話す声は小さいのに歌う声となると何故か声楽家の様な声が出せてしまう不思議な能力がありました。
おそらく聴覚が過敏だった事と表裏一体の能力で、聞いた音を再現する力に特化していたのだと思います。
ですから他にも
・何故か猫の鳴き声をまねると本物のネコが集まってくる(笑)
・英語は基本苦手なくせに何故か発音だけはネイティブさんが振り向くレベル。
・好きな曲なら何度か聞けば楽譜を見なくてもそれっぽく再現出来る。
上記の様なちょっと変わった特技があります。
***********
またまたいつもの如く脱線しちゃいましたが歌の話に戻りますと、歌は自分でも自覚アリなほど大好きだったので、小学校に行く楽しみの一つといえば歌を教えてもらえる事と思っていました。
流行の歌謡曲、も嫌いじゃなかったですが、どちらかと言えば唱歌や声楽曲、中学ではスカボローフェアなどの洋楽を教えてもらえるのがとても楽しみでした。
だから中学が辛かった時期も音楽目当てに何とか学校に通っていました。
しかし楽しい気分のまま帰宅して気持ちよく家庭で歌ったりするとこっぴどく叱られる事が多々でした。
「あんたの声は耳に刺さる。他人の迷惑を考えなさい。」
「ピアノ伴奏のない歌って本当に下手よね。」
どちらも母の言葉でした。*1
確かに人の迷惑を考えなくちゃいけないのはわかります。だけど歌うたびに下手だと連呼され続けたので私は自分で歌が下手だと思っていました。
辛い事件
それでも歌が好きだったので
”一生懸命練習してもっと上手になりたいな、いつか声楽家になりたいな”
と思う気持ちが強くなり、中学3年になるかならないかの時期に母に進路相談をしてみました。
「高校は音楽科を目指したいんだけど。」
すると
「いや、高校は普通科でしょ。」
と即答されてしまいました。
確かに・・・もし合格したとしても家では練習出来ないなら・・・と諦める事にしました。
***********
こうして音楽に対しては一定の距離をとりながら・・・時は少しだけ過ぎ、中3の1学期に突入しました。
家では歌えないけど音楽の授業だけは誰にも遠慮せず歌えると思って、もう受験の事など忘れてただただ音楽の授業を楽しんでいた頃でした。
ある日の休み時間、声楽で音楽科を目指す同級生に人気のない廊下に呼び出されました。
「どうしたの?」と聞くと
「いいからここでちょっと歌ってよ。」
と催促されました。
「なんで?」とか「こんなところじゃ歌えないよ。」と断ったのですが、相手の鬼気迫る様子に根負けして
「じゃあ・・・今授業で習っている歌でいいかな?」
と、廊下の突き当りで歌ってみました。
すると腹部にドスン・・・という重たい衝撃。
私が声を出し切った頃合いを見計らい、同級生は私の腹部に思いっきり手のひらを押し当ててきたのです。
油断していたのもあって、壁にドンとぶつかり・・・手と壁に挟まれた私は息が出来ず・・・とても苦しかったのを覚えています。
「いい?私は毎日こんな練習をしてんだよ!!!!」
多分、受験して声楽家になる為に真面目に練習している苦しみを思い知れ、と言いたかったのかな・・・と思います。それにしたって、私は自分がプロを目指せるほどには上手ではないと思っていましたので・・・まさか彼女に意識されているとは夢にも思っていませんでした。
私も発達に関する何らかの特性があると思いますが、ちょっと空気が読めない所があったのかなぁ・・・いつの間にか彼女の気分を害していたのでしょうね。
それにもしかすると母はこうした事も危惧していたのかもしれません。
”自分さえ良ければいい”って思っていない?
って。
***********
この一件があってからというものの、あまり歌を歌わなくなりました。*2
そしてここから学んだ事は育児にも色濃く影響を与えています。
子どもに少し突出した所があった場合、それを人に見せる時は少し状況を見てからにしなさい、と。
能力は人にひけらかすものではない(それは自分の身を守る為にも)、と。
たとえ傑出した能力があったとしても・・・日本ではうまく見出してもらえない事もまだまだ多いんじゃないかな・・・と思ってしまっているからです。
だけど家の中くらいは、息子には自分の好きな事くらい正直に言わせてやりたいな、と思っています。
駄文にお付き合い下さいましてありがとうございました。
楽しく終われました♪
前回は保護者のお仕事で慌ただしく生きています、と子どもそっちのけの私の事情をお話しさせていただいたのですが、ようやくそちらが無事終了したので軽くご報告を。
今回の事は私にしてみれば突然始まった事だったのですが、いわゆる本番があるお仕事を引き受ける事になったのです。
当初はその本番に向けての事前準備の段階の中で、なかなか動けない状況に孤独感や不安が続き・・・一体どうなる事やらと思っていたのです。
が、一生懸命やっていると周囲の方々ってちゃんと見てくれていた様で、たくさんの方に助けていただく事ができ、最後は嬉しい涙で終われました。
元々自分一人じゃ出来ないボリューム感だったのでたくさんの人の助けが必要なのは最初からわかっていたのです。
でも終わってみれば私が考えて以上の大成功で、一人一人が最大以上の能力を出し切ってもらえた結果でした。
ご一緒したお母さん達とはとても素敵な協力関係を築けたし、まるでチームワークのお手本のようだな、と思います。(子ども達にも見せたいくらい(笑))
私自身も「自分が最大限頑張ったのだから、あとはみんなの事を信じて任せる」、という事を学ばせていただきました。
「さぁて、数週間は子どもそっちのけで頑張ったから、今日からはまた子どもを見つめる日々に戻ろう!」
今は満ち足りた気持ちです。