自己肯定感を育てる必要性。過不足のない自信へ ―まとめ編―
長々と駄文を書き連ねてしまったシリーズになってしまいましたが、今になって一番思う事は自閉症とか発達障がいとは全く関係のない様な話になってしまった・・・かもしれない感です。毎度ダラダラとすみません。
さて、そんな訳で自己肯定感を育てる必要性。過不足のない自信へ ―前編―から長々と私自身の記憶を書き残してきましたが、まとめて終わりにしたいと思います。
繰り返しみた亡き母の夢なんですけど、つまりは
(1)母が失敗した育児をトレースしている(息子に対してあんまりガミガミ𠮟りつけていたら私と同じ様に卑屈に育ってしまうかもしれない事)
(2)この先の進路の事を子どもと一緒に考える(好きな事や趣味が似たお子さんが多そうな集団を探す)
こんな点かな?と思います。
前回自分の小学生~高校生頃の事を書かせていただきました。その中で、自尊心をなるべく持たないように育てられたと書きました。当時はそうした風潮があったので、どこのご家庭も似たような感じだったと思うのですが、でもこれってそんなに必要だったのかな?と今になって思います。
確かに過度の自尊心は他人から嫌われるだけなのかもしれません。しかし自分の事を大切に出来ない人が本当の意味で他人を幸せになんか出来ないと思うんです。
自分に自信が無いが故に素直に他人に愛情を与えられなかったり、間違いや傷つく事を恐れて一歩を踏み出せなくなったり・・・自己肯定感がなければ、それはそれで様々な弊害が出てきてしまうと思うんです。
だからタイトルにもあります様に、過不足のない自信であったり、日本人が得意とする中庸ですとかほどほどな満足感程度で構わないので自信を持つ必要性があると考えています。
その為にも、一人で生きていかなくちゃいけなくなった時に
”これでいいんだ、自分が良く考えて選んだ事だから信じて進もう!”
と思える様な、自分を生きる為の推進力となる自己肯定感を育てていく事が大切なんじゃないかな?と思っています。
誰かに言われて選んだ進路ではなく、自分で選び取ってきた事が成功していけば、それが自信につながるのでは?と思う訳です。
具体的にはどうすれば?
結局、ずっと以前から私が今までにしてきた事の繰り返しで良いのだろうと思うのですが、子どもの心に寄り添って本人の心の中にある感情をしっかりと受け取る、これに尽きるのかなと思いました。
そしてそれに対して丁寧に応えたり、一緒に悩んで考え方を学んでいく事で、本人でも解決出来る様になっていくといいなと思っています。
それが今まで出来ていたのに・・・この夏は、なんと申しましょうか・・・これはこれで必要な時間だったのだと今では思うのですが、思いがけずひょっこりと現れたネガティブな自分との訣別の時間が私自身には必要でした。
これは親としてではなく一人の人間としてもっとステップアップしていかなくちゃ、この子に道を示す事は出来ないなと常々感じているからです。いつでも課題や学びが準備されているから人生は複雑で飽きないのかもしれませんね。
そんな訳で・・・
もともと私の中にあった焦燥感や罪悪感が今回は『亡き母の夢』という形で何度も何度も現れ、今の私自身は子どもと向き合う基本姿勢がとれていない事にこうして気付きました、という日常の紹介文でした。
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そうそう、↑こんな風に書くと
「子どもを叱ってはいけません。」
とお伝えしている様に読めてしまうと思うんです。
もちろんできれば叱らないに越したことはないし、そうならない様にいつも先回りした準備が出来ている事が望ましいかもしれませんね。
又は、叱る事まで計算した準備の仕方もあるかもしれません(例えば人間の”突発的な怒り”や”感情的な様子”を子どもに教えたい場合など)。
でもね、
人間ですから。
100%叱らずに、なんて難しい時もたくさんありますよね。
これはあくまで私と息子のこれまでの経験での話なのですが、
それまでにしっかりと母子間での愛着や絆を結んでこられた方は、もし事情などがあって仮に頭ごなしに叱っちゃった事があったとしても大丈夫な気がします。
心の深い部分できちんとお互いに繋がっていれば、
”あ、しまった、頭ごなしに言っちゃった(>_<)”
と思う叱り方をしてしまった後でも、
「なんでこんな事(叱られる様な事)しちゃったの?理由を教えて?」
と口調を変えて様子を聞く形でフォローをしておけば息子の場合は
『行為に対して叱られただけで、ボク自身を全否定してしまっている訳ではないんだな』
と理解してくれる様です。
で、その理由がやっぱりダメな場合は穏やかに諭し、理由が正当な場合は理解を示してやる様にしています。
穏やかな二学期
おかげ様で夏休み以降、(このシリーズを書いた事も功を奏したのかもしれませんが)怒らず叱らずでひと月以上過ごせています。
この間、学校では運動会や色々な行事を通じて新たな学びや楽しい経験を積み重ねている息子。
しばらくは学校で頑張る子どもを家庭では穏やかに受け止める事で心身の育成をサポート出来る様に心がけていきたいと考える今日この頃です。
この夕刻の空の様に、親も子どもも複雑な成長過程にある我が家でした。
最近ではもはや発達障がいだとか、自閉症といった悩みよりも人としてどう生きていくかというごくごく普通の悩みに移行してきている事に驚く毎日です。
(といっても普段の息子の様子ですが、わかる方がご覧になればまだまだ自閉っ子ってすぐにバレてしまう程度ではあるんですけれど(^^;)発達障がいについても気を抜かずに新しい手法なんかを勉強していきたいなと考えています。)
自己肯定感を育てる必要性。過不足のない自信へ ―中編―
晩夏にみた夢
夏休みの終わりごろから、私は何度か同じ夢を見るようになりました。
それは母との昔の出来事でした。
※白い彼岸花でしょうか。珍しくて思わずパシャリとしてしまいました。花言葉は「また会う日を楽しみに」だそうです。
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私が小学5年生頃の事です。
学校で先生と母との保護者面談が終わった直後頃だったと思います。
「ねぇ、あなた〇〇教育大附属の中学校を受験してみたら?」
と母が言い出したのです。
当時はまだまだ中学受験がさかんではない時代で、ごくごく限られた裕福な家庭や本当に飛びぬけた才能のお子さんだけが受験する様な時代でした。
だから最初に言われた時は
「普通の一般家庭に育った私が受験?え、冗談だよね?」
と返しました。そんな私でしたが、〇〇教育大附属といえば地域のトップクラス・・・という事だけは知っていました。
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こちらの地域では小学校の通知表は3段階評価なのですが、当時の私はほとんどの教科が「よくできる」ばかりだった事やテストでもほとんど満点しかとらなかった子でした。(自慢じゃないですョ、多分多くの方と変わらないと思います。)
絵画展や作品展があれば出品される事も多く、毎年賞状やメダルをいただいておりました。(それが今じゃただの凡人です、何の芽も出ませんでした(>_<))
そんな状態でしたので母は何かの拍子に受験を思いついたのでしょうかねぇ・・・?それとも学級委員や〇〇委員長をする事が多かったのでそんな発想に至ったのでしょうか。
母が亡くなった今となってはその理由を知る事は出来ませんが、とにかくそれからしばらくの間母の受験熱が続く事になりました。
私自身は正直うんざりでした。
せっかくできた友達と離れるのも嫌でしたし、当時は病的に朝起きる事が苦手だったので*1わざわざ遠くの学校へ通わなくてはいけないのが嫌だと言い続け、結局受験を回避したのでした。
自分を大切に出来なかった
でも本当の理由は自信が無かったからです。
良い通知表を持ち帰っても褒めてもらった事など一度もありませんでしたし、いくらテストで100点をとろうとも
「上には上がいるだろう。それぐらいで何を満足しているんだ?」
と両親ともに厳しい言葉しか返してくれませんでした。
いくらたくさん賞状をいただいても、全国でも上位の賞をとっても、結局褒めてもらえた事は一度もありませんでした。
「自分の為にやったんでしょ?他人に褒めてもらう為に努力した訳じゃないでしょ? 」
と。
これはもっと成長してから聞いた事ですが、天狗になって欲しくない一心で出る杭を打つかの如く私の自尊心を潰し続けたそうです。
そりゃ・・・高校生にもなっていればそうかもしれませんが、まだ小学生だった頃は褒めて欲しい気持ちを寂しく我慢するしかありませんでした。
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それに対して2歳下の弟は・・・いつも通知表に「がんばろう」がほとんど(というよりも「がんばろう」しかない)という大変な子でした(^^;)
弟が2年生の時、思わず母に
「この通知表どうなってるの!?」
と聞いてしまい
「しっ!言っちゃダメでしょ。本人は精一杯頑張っているんだから。」
と口にする事さえもはばかられる程ひどいものでした。
だからたまに「ふつう」があると両親共に大喜び。
私も褒めちぎっていました。懐かしいです。
けれど正直心の奥底ではどこかで羨ましい気持ちがあった様に思います。
”弟は男の子だから褒められるのかな。
私はどんなに頑張ったって、どんなに結果を出したって褒めてもらえないのは・・・可愛くないからなのかな。”
ずっとそう思っていました。
そして今でもそう思っています。
確かに私は意固地で気が強く、時には大人を言い負かす程口が達者で、全然可愛げのない子どもでした。
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弟の通知表を見るまでは、成績なんてみんな「よくできる」がデフォルトだと思い、教科書を読めばテストは100点とれるものだと思い込んでいた私ですが、母も何となく同じ事を感じた様でした。
弟が学校に慣れた2~3年生になっても、一向に成績が上がらなかったんです。
何も手をかけなくても点数がとれる私と、どれだけ手をかけてもまともな成績にならない弟。
そうした日々の実感が母の私への受験熱に繋がったのだろうと思います。
しかし母の思いとは裏腹に、自分を信じる事が出来ない私は”受験なんてどうせ受かる訳ない・・・”と思い挑戦する事を拒んだのでした。
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ちなみに学級委員などを引き受けた理由ですが、当時推薦して下さった先生方や今もまじめに委員会活動などに取り組んでいるお子さん達には大変失礼な動機だとは思うのですが・・・当時は自己犠牲的な気持ちが大きかったです。
あの頃は自分の事を大切にする気持ちを育む事が出来ず、私自身は社会にとって何の役にも立たない人間だとしか思えていませんでした。だからせめてみんなが嫌がる美化委員長だとか学級委員をやっていた様な気がします。*2
こうして自己犠牲の様な事を考える思考へとどんどん進んでいってしまいました。
しかし物事は皮肉にも真逆に進んでいってしまうものなのかもしれませんね。
委員会活動の事や成績が上位だった事で周囲から優等生のように扱われてしまう精神的な負担は大変大きく、綺麗な話ではなくて恐縮ですが、常に過敏性腸症候群を抱え込み・・・お通じは10日に一度あるかどうか、しかも強烈な腹痛を伴い大変苦しむ事になりました。
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親になってわかった事ですが、もし息子が同じ様な事で苦しむなら・・・無理に誰かの役に立つ生き方なんかをしなくても良いと思うんです。精一杯自分の好きな事を見つけて自立して生きてくれれば、そこに何かの希望を感じて下さる方もいらっしゃるかも?と思うんです。それこそがきっと社会貢献になるんじゃないかな、なんて受け止め方をしています。
それに成績だって今の成績が全てではないですから。
小学生の間に家庭で身につけさせてやりたいなと思っている事って、
- 早寝早起きをして太陽光を浴びる
- 毎食おいしく食べる
- 歯磨きや排泄の習慣
- お風呂
- 立つ・歩く・座るの正しい姿勢
案外こんな程度なんですよね。健康な生活スタイルを確立すればあとは自分で好きな事を貫き通す事が出来ると思うんです。
私が当時ここまで思いつめたのは思春期だったからかもしれないし、こうした生活習慣が身についていなかった影響もあるかもしれませんね。
後悔先に立たず
親の思いを無下にした私でしたが、実際に中学へ進学してみるとすぐに後悔の嵐でした(T_T)
友人たちも何だか大人びてしまい、男女の面倒なあれやこれやが始まってしまうのです・・・。
色めき立つ周囲に『私はそうした事に興味がないから敵意を向けないで!』と示す事に大変な労力を使い果たしてしまい、学業はどこへ・・・と途方に暮れる毎日。
そして日常的な先輩後輩のあれこれ。
あとはクラブ活動でのレギュラー争い・・・うっかり1年生で2~3年生を差し置いてレギュラーになった日にはもう・・・学校に行くのが地獄の様な苦しみで、毎日毎日泣き暮らす事になってしまいました。
本当に面倒でした。
troublesome・・・troublesome・・・
いつしか出る杭にならない様に、クラブも一年生の夏休みには退部し成績も活動もあまり派手にならない様に自分を抑えて生きる様になってしまいました。
”あの時、お母さんの言う通り受験しておけばこんな事にならなかったのかしら・・・”
後々何度も何度もこうした後悔を繰り返す事となり、中学校生活はただただ苦痛な時間を過ごす事となりました。*3
女子高パラダイスw
絶望の3年間を終え、高校は私学の女子高を選びました。
特待生として学費を一部免除していただけた事や文系に特化した学習スタイルが何だか楽しそうだったので親に無理を言ってお願いしたんです。
はい、ぶっちゃけここは奇人変人のパラダイスで、近隣他府県のかなり尖った才能の持ち主が集まる高校でした(笑)
私はここでようやく自分が特殊な人間ではなく、ただの凡人として生きていく事が出来る様になったのでした。
まるで五味太郎さんの絵本
「きんぎょがにげた」
で最後にもう逃げなくて済む瞬間が来たのと同じで、同じ仲間たちに合流し、もう自分を隠して生きていかなくても良くなったのです。
まさに地獄から天国でした。
自己肯定感を育てる必要性。過不足のない自信へ ―前編―
※またまた脱線話ですので読み飛ばして下さ~いm(_ _)m
夏休み中に叱りすぎた事もあり、しばらくは叱らなくても済む接し方で息子に向き合おうと思ったきっかけについての記録です。
熱帯スイセンの楽園
先日こちらの地域ではかなり大きな台風があり、倒木や停電の被害が中々解消されない地域も。でもここ最近はそうした影響も落ち着いてきましたので、ずっと気になっていた地域の植物園へ行ってみる事にしました。※去年の台風で貴重な杉が倒木してしまったので、今回の台風ではどうなったのかずっと気になっていたんです。
園内に入ってしばらく歩くと熱帯スイレンが見頃をむかえていました。
スイレンそのものの美しさもありますが、水面に映る風景のあまりの美しさに30分程足を止めて考え込んでしまいました。
こうして空や雲が写り込む景色の中に咲くスイレンは天上に咲く花のよう。
”楽園って、天国ってこんなところなのかしら。
亡くなった母もこうしたところで心穏やかに過ごせていたらいいな。”
私は無宗教なので死んだ後があるかどうかは正直知らないのです。が、痛がる様子や早くに旅立たなくてはいけなかった母の無念さを傍で見ていたので、十数年経った今もこうした景色に触れるとふと母を思い出してしまいます。
***************
母子の関係って、子どもを独立させたら終わりじゃないんですよね。
ずーーーーーーっと、ずっと、それこそ一生何かの折に触れ記憶だとか教わった事を思い出してしまうものなんですね。良い事も悪い事も全部。
もし良い事を伝えられたならば一生大切にしてくれたら嬉しいな。
でも逆に悪い事や間違った手立てを伝えてしまったならば・・・この子は間違っている事を認識し、正しい理解を習得しなおさなくてはいけません。
古い慣習や間違った思い込みを変えていく事は普通の人でも難しい事ですよね。
それが一度インプットされてしまった事は修正し辛い特性のある人にとってみれば、とても大変な労力が必要でしょう。
その時一緒に居てくれる周囲の人達の為にも、出来るだけ修正は少なくて済む様にしていかなくてはと思うのです。
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だから今を、一瞬一瞬を大切に。
息子と対峙している時は誠心誠意を込めて接する様にしなくては。
それが今度は息子の育児の糧となるはずですし、もっと言えば私たち母子間の関係だけでなく息子の対人関係の基礎になるはずだから。
もし私が息子に横暴な態度をとれば、息子は他人様に同じことをするでしょう。
もし私が息子に愛を向けて慈しめば、息子もいつかきっと他の人にも同じ様に接する事が出来る様になればいいな。(これはもちろん私の勝手な希望ですけれども。)
叱りすぎた夏
実はこの夏、かなり息子を叱りすぎた傾向にありました。
それは去年の今頃とは全然違う悩みで、ある意味予想を裏切る程に成長していく息子と反比例する様な事でした。
『逃げ癖』のある母子 で書きましたが、成長とともに辛い事から逃げようとする癖がどんどん酷くなる様子を目の当りにし、私も追い打ちをかける様に追い詰めすぎた事がありました。
でもね、本当は”逃げたい自分の気持ち”に気付けた事って相当な進歩だと思うんです。去年の夏休みはもっと宿題が多かったのですが、それを私が立てた計画の通り言われるままにこなしていた様子でしたから。(去年も本当は逃げたい気持ちを抱えていたのに、それに気付けていなかっただけなんじゃないかな?と思っています。)
この気持ちに気付けたからこそ逃げずに対応していく術を一緒に考えていけるスタートラインにようやく立とうとしているのだと思います。なのに頭ごなしに叱りすぎるとただ自己肯定感を下げるだけです。
じゃあどうして自己肯定感を育てなくちゃいけないのか・・・?
その辺りを次回にまとめさせて下さい。
受験にまつわる、母と私の葛藤の日々を記録しようと思っています。
※今回は「自分自身は無宗教です」と言いながらもかなり思想的?に偏りのある内容になってしまったような気がしています(^^;)うまく書けなくてスミマセン。私自身がこうして育児を通じて現実的な価値観から少しづつ精神的な価値観へ移行してしまっている事で物質的な世界や現実的な価値観に生きる夫との間に簡単には埋めきれない大きな溝が出来つつあると感じているんです。
あまりに赤裸々が故に躊躇する気持ちはあるものの、そうした事も記録しておかなくてはいけない気がしています。何年か経った時に「この記事は無駄でした」って笑えているといいのですが・・・こうした二者間における心の大きな乖離には決定打など実はないかもしれない、日常的な微細な心の動きによって少しづつ離れていった結果かもしれないという事をどこかに書き残したいと思っているからです。
よく言われますが自閉症児を抱える家庭は両親が離れ離れに生きていく事を選ぶ率が高いとの事ですね。もしかするとこうした夫婦間の心の動きを記録する事も後々の検証に役立つのではないかと考えるからです。男性のもつ現実的な視点ももちろん大切ですし、かといってこうした特性の子を育てていると子どもの精神世界を理解する事も大切な鍵になってくると思うんです。後は両者にお互いを思いやる力が残されていれば関係は保てると思うのですが、現実として難しいところも正直あります。
もしこれが何かのヒントになればと思い書き残す事にしました。
ケラララ一家を描いてみた
特殊な感性。
先日、メインブログで息子が怖がる妖怪の話をさせていただきました。
この妖怪と付き合いだした3歳当時から既に4年程経過しているのですが、
『息子が言うケラララってどんな妖怪なのかな?ちょっとイメージ画を描いてみよう♪』
と軽い気持ちでプールの更衣室に出るという妖怪の絵を描いてみました。
最初にガイコツおばけ的なイラストを描いて色塗りしてみました。
↓の絵が先日のメインブログ(更衣室の妖怪ケラララ(笑)(3歳4ヶ月~3歳5ヶ月))の状態です。
で、それを息子君にみせたところ
「そうなんだよね、これこれ。ムンクの叫びみたいな感じ。
でもね、これはカワイイバージョンなんだよ。かぼちゃがあるから。
お腹が減って怒っている時は滅茶苦茶怖いんだ。」
「え・・・っと、じゃあ描いてみるね。」と私。
↓2~3分後。
ささっと描いたのがこちら。
なんだか子どもっぽい怒りの表情になってしまいました(;´Д`)
出来上がりを見せると
「そうそう、これはケラララの子どもだよ。いつも怒っている事が多くて狂暴なんだ。」
との事。
「ケラララって親子なんだね。いつもこんなのが見えてるんだ・・・こりゃ確かにコワいね(^^;)」
と私が申しましたところ
「うん。でもね、ケラララのお母さん(=奥さんの事)はいつも優しくて怒らないんだ。」
お母さんまでいた事が判明しました。
って・・・めっちゃ壮大な話になりそうな予感(笑)
ついでだから全員分のイラストをまとめてみました。
プールの更衣室にこんな妖怪たちがいたらそりゃ怖いです(^^;)
持て余さずに伸ばしたい
息子君の特性といいますか、ずっと昔からなのですがいわゆる”空想癖”の様なところがあるんです。見たり聞いたりした何かの刺激がきっかけになって頭の中にストーリーが瞬時に思い浮かぶタイプっぽいんです。
しかも登場人物の詳細な設定まで瞬間的に組み立てる事が出来、それを口頭で伝える事が出来るのも強みかなと思います。(少なくとも私は出来ません(笑)こんな能力の人って、そういえば過去に一人だけいらっしゃった様な気がします。)
一歩間違えると虚言癖として扱われてしまうかもしれないので気を付けなくてはいけないのですが、もし周囲の方からの理解が得られれば例えば「ハ〇ーポッター」や「ネバ―エ〇ディングストーリー」の様なファンタジーな空想でいつも頭の中がいっぱいな楽しい人生を過ごせるかもしれませんね。
どう伸びていくかはわかりませんが、大切に育てていきたい感性の一つだと思っています。
『逃げ癖』のある母子
新学期が随分前に始まったというのに私自身がちょっとしたスランプに陥っているみたいで全然更新出来ずにいます(;´Д`)みなさまおかわりありませんか?
その間に大きな地震や台風がございましたね。
皆様の地域はご無事でしたでしょうか?
我が家のご近所は自然が多い地域なのですが、今回の台風でたくさんの倒木が出てしまいました。
無残に折れ落ちる幹や枝。
木々もさぞ痛かったでしょう。
※これらは少し以前の写真です。今現在は少しづつ整備されつつあります。
息子の近況ですが、夏休みに少し頑張りすぎた(叱りすぎた?)事もありまして、夏休みの終わりごろに少しチック症状の様な足ゆすりが出始めてしまいました。
天候が不安定で自宅待機が続く日々の中、息子を追い込んだり無理に何かを習得させる様な事などは一切せず、のんびり笑い合いながらただ家で楽しく過ごす様にしておりました。
半月ほどそうして過ごすうちにようやく息子も私も復調してきたかな?と感じています。
息子の学校生活も支えて下さる先生方のおかげで順調な様です。今は運動会に向けて精一杯頑張っているみたいですョ♪
逃避行動
そもそも夏休みにどうしてそんなに叱ってしまったのか・・・ですよね。
叱りすぎた原因は、一つは息子の『逃げ癖』を目の当りにしてしまったから。
この夏は、宿題などやらなくちゃいけないけどちょっと面倒な事にすんなりと取り掛かれない特性がばっちり出てしまいました。
”どうして逃げちゃうのか?”
生活面に対する逃げなら今まで散々対応してきたつもりなのですが、最近は息子も気持ちを隠すのが上手になってきた事や、
勉強面の苦手さへの原因究明の仕方がまだ私も慣れていなくて、かなり苦戦してしまいました。
この『逃げ癖』についてはこれから長く向き合っていかなくちゃいけない事だと感じています。
実は私自身も『逃げ癖』が酷くて学生の頃は随分苦しみました。
いえ、学生時代だけでなく、就労してからも苦しんだ記憶が・・・。*1
だからこれをきっかけに、”どんな取り組み方が一番自分にとってやりやすいのか?”を考えていってもらえればいいなと思っています。
でもまぁそれもこれもまずは運動を通じてすぐにしんどがる体をねばれる体へと楽しみながら一緒に変えていければいいな、なんて考え中です。
私、輝けなくてもいい。
もう一つの叱りすぎた原因ですが、それは私自身の事。
この夏は自分の友人たちの活躍を目の当りにする機会がありました。それがダメだったんでしょうね・・・自分も自分自身が誇れる何かをしたくなってしまったのだと思います。
ずっとずっと以前、今から5年程前のまだ息子が2歳過ぎの頃。
メインブログで↓愛着を考えた事がありました。
let-me-pick-you-up.hatenablog.com
『とりあえず向こう10年程は私自身の事については何も望まない、子どもが無事成長してくれるなら本望である』
とこの時言い切ったハズなのに7年で挫折・・・してしまいました、私(笑)
カッコ悪すぎます(^^;)
どうしてこうした感情が吹き出ちゃったのかといえば、心のどこかで次の様な思いがずっとあったんだと思うんです。
”今の自分は本当の自分ではなく、本来は優しい母でも聖母でもない。今は私自身のやりたい事を息子の為に我慢しているだけで、いつかこの子の事が落ち着いたら本来の自分を解放してやりたい”
きっとこうした気持ちをずっと心のどこかで抱えていたんだと思うんです。それが今年に入って息子の不登校も先生方のお力添えのおかげで解消し、自分自身少し落ち着いた様に感じてしまったのでしょう。
ですから今になってこれまでの思いが噴き出してしまったのかな、と。
****************
で、いざ
「じゃあ7年前に歩みを止めた自分自身の時間を解放しよう!」
と試みてみた訳ですが、
”どうなんだろう?・・・なんか違うかも?”
というのが正直な感想です。
解放しようにも、『自分自身がやりたかった事って何だろう・・・』と空しくなるばかりでした(笑)
美容かな・・・?
ファッションかな・・・?
ニュース三昧の日々かなぁ・・・?
古典文学とか読書かなぁ・・・?
う・・・ん・・・・・・
こうして改めて考えても別にどれも我慢していない気がします。
よくよく考えると”自分磨きをしたい!自分自身が輝きたい!”、という思いよりも単に身動きがとれない毎日の連続が苦しかっただけなのかもしれません。
もしくは夫や息子が自分たちの能力を発揮していく様子が羨ましかったのかもしれません。(本人たちが辛い努力を重ねた結果なのにね。)
”子どもや夫の為に自分が我慢すればいい”
という思いと
”誰かのサポート役ばかりでつまらない”
こんな思いの狭間で私はこの7年間生きてきたのかもしれません。
超絶かっこ悪いですね、この7年間の私。
こんな葛藤に気付かないフリをしていただなんて。
これじゃ単なる偽善者だ・・・、そう気付きました。
こんな自己犠牲の様な思いで他人に向き合うならやめた方がいい、相手にも失礼な気がします。
****************
子どもの話がつまらないなら正直につまらないと伝える努力をしなかったのは私ですし、話の面白い部分をうまく拾って話を繋げていくスキルを鍛えなかったのも私。
夫が子どもの世話を丸投げしてもそれを許したのも私だし、自分の時間が欲しい事を訴えなかったのも私。
結局私も『逃避行動』のオンパレードだった事に気付いたのでした。
輝きを増す相手を心の底から応援し、支える事だって大切な事のはずです。
ここでもう一度自分の在り方を考えてみようと思っています。月だって太陽に照らされれば太陽とはまた違った美しい輝きを放ちますもんね(^^♪
それにしたって大人の私でもまだ乗り越えられない『逃げ癖』なのですから、まだ7歳の息子はその苦しさに気付いたばかりでしょう。
2人でうまく乗り越えていけたらいいなぁと思います。
共に育み合う関係へ
そうそう、子どもを産む前に持っていた価値観や常識、自分が好きだった事などはいつしか自然と淘汰されていくものなのかも?しれませんね。
そうなれば、息子の存在によって無理に選んできた事ばかりではなく、
今ある自分は他でもない自分の意思で選んできた道なんだと改めて思いました。
もちろん音楽や読書など、変わらず好きな事ももちろんありました。
でもそれ以外の事って・・・。
きっと気付かないうちに自ら手放してきたのだと思います。
それに気付くとなんだか馬鹿馬鹿しくなりました。
息子に「あなたのせいにしてごめん!」、と思った瞬間でした。
(まぁ、ただあまり自分を押し殺して我慢ばかり続けるとこうして大爆発を起こしてしまいますので、定期的に自分を見つめなおす時間を持つと良いかもしれませんね。)
こうして子どもに育てられ、鍛えていただく毎日(^^;)
いつでも自分の学びが目の前に準備されているのですから、子どもを育てるっていうよりも共に育み合う共育関係なのかなぁと思ったりするのでした。
伸びた部分のご報告
悪い事ばかりのご報告も切ないので、少しだけ息子の成長を記録させていただきますと、
先ほどご紹介した2歳の記事の頃は積極的にはしつけを行えない状態でしたが、7歳を過ぎた今では自他の区別がつき周囲と自分を見比べられる力がぐんと伸び始めまして、最近は躾や相手の立場にたった諭し方が出来る様になってきました。
それと会話力がこの半年で随分伸びました。きっと学校で鍛えていただいているのでしょう。
今は本当にありがたい環境に居させていただいております(*^^*)
※原始反射のお話しをしなくちゃと思っているのですが、その前に脳波やてんかんについての話と妖怪一家の話と嫉妬ミッションなどについて少し備忘録程度にまとめさせていただこうと思っています。
*1:結局私の場合は緻密なスケジュールを自分で立てて実行していく事が一番ストレスがかからない方法だと仕事を通じて学んでいきました。息子にも自分に合う方法がどれなのかを試行錯誤を繰り返しながら身につけてもらいたいなと切に願います。
見えない部分を想像してみよっか。
この夏休み中のある日、嫌な夢を見ました。
それは息子が車にはねられるという、さも現実に今にも起こりそうな夢でした。
横断歩道で止まらずに夫の横を一気に駆け抜けた瞬間、それまで壁に遮られて見えなかった車が横断歩道に差し掛かり、気付けば息子は空中に舞い上がってしまっていました。
「うわあ!!!!」
思わず叫び起きてしまい、何とも後味の悪い状態で目が覚めた私。
最近の車は走行音が静かな車も多く、
『いつかこんな事が起きるんじゃないかな』
と常々気にかかっていたシチュエーションでした。
普段なら何も解決策もなくただ落胆し、気をつけなくちゃと思い改めるだけなのですが、今回は少し違いました。
目覚める瞬間、ふとある思いも同時に浮かび上がってきたのです。
『そうだ、見えない部分を想像してみる練習を始めてみよう。』
そんな思いで始めたのが、先日の「夏風邪で始まった夏休み(^^;) 」で書きました折り紙を使った型抜きの練習でした。
夏休みなので頭の体操になるような問題集をいくつか購入してきた中に空間認知力などに関する問題を遊びの感覚で解いていく問題集がありました。↓
「考える力がつく算数脳パズル 空間なぞぺー 小学1年~6年」(著者: 高濱 正伸、平須賀信洋 /発行所:草思社)
この中にこうした折り紙を使った問題があったので早速取り組んでみました。
・・・が、息子は初めて取り組んだとはいえ・・・苦手意識が強すぎてなかなかうまく習得していけませんでした。
どうやら特に半分に折った折り紙の反対側がどうなっているのかを想像する事がとても苦手な様子です。
※この問題集を例にして自分で考えて出題してみたのですが、下の問題なんてL字をさかさまに切り抜いたらT字になるね、という結果を得たかったのに何故か逆L字を二つ切り抜く結果に・・・。
遊びの延長で始めた事でしたが、
『ここまで苦手だと、何か生活に支障が出そうな雰囲気すらするなぁ。』
と思っていた矢先に冒頭でお話しした夢を見たものですから、
「きっと、折り紙の見えない部分が想像できるようになれば、今まで考えつかなかった事もわかる様になるかもしれないよ?」
なんて息子と話し合い、この問題を真剣に取り組んでみました。
一週間程頑張ったところ、なにやら反対側も連動している事に気付き、最終的には簡単なものなら切った形を正しく想像できる様になりました。
これで一つでも危険回避や危険予測の力が身につけばいいなぁ、と思った夏でした。
それぞれの生き方
自立への過渡期
この夏休みを振り返ると、長距離のお出かけも楽しかったのですが何気ない日常がとても大切な夏になった気がしています。
今年は息子の成長もあり、私たち親から少し手が離れた感じがする一方、そうした息子の成長が家族それぞれの歩み方を考え直すきっかけを与えてくれた様に思います。
夫はより仕事中心に、私も旧友達との再会を通じて自分としての生き方を見直す時間を少しづつ持つことが増えてきた様に思います。
友人たちの生き方を垣間見ると・・・いつの間にか周囲は転換期を迎える人達だらけ。海外勤務になる人もいれば再婚して新しい人生をスタートさせる人もいました。
毎日精一杯子どもの成長を支える事だけに心血を注いできた自分でしたが、そんな彼女たちの力強さに何か自分だけが世の中から取り残されてしまった様な寂しさがそこにはありました。
そんな私自身の思いとリンクするかの様な息子の自立心。
ふと何故か、
『ウチもきっといつまでも今まで通りとはいかないだろうなぁ。そろそろ子ども中心の家庭から脱却していかなくちゃいけないのかも・・・それは息子の為にも。』
という考えが少しづつ浮上してくる様になりました。
息子をいつまでも子ども扱いするのではなく、一人の人間として成長していく下支えをしていかなくちゃいけないと強く思う様になり始めました。
大人になるまでにしっかりと子どもらしさを受け止めてやりたい気持ちは今も変わらないのですが、子どもは親が思う以上に成長が早く、
「ボク、一人でやってみる。」
なんてシーンが最近は増えてきた事が一つのきっかけです。
こうした息子の変化はきっと学校でしっかりと自分の居場所を作ってもらえた事で自己の確立が進みつつあるのでしょう。
という事で我が家は自立を見据えて転換していく時期を迎えています。
自立への葛藤や反動
しかしその反動がある事も今年は感じています。
自ら難しい課題に挑戦しようと高い目標を掲げてはみるものの・・・脳が疲れてしまうんでしょうね、激しく抵抗したり宿題に取り掛かるまでに4~5時間ぐずぐずして一日を過ごしてしまう事も多々ありました。
夏休みの一番大きな研究課題にとても難しい課題を選んだ様です。恥ずかしいですが、それはもう私にはついていけない内容だったりします。息子は幼稚園の年長さんの頃から恐竜でもなく、古生物でもないある生命の歴史に興味を持ち始めたのですが、今年の夏はそれを宿題に選びました。
しかしそんなに簡単な課題ではない様で、図鑑や本、動画を見たりネットを検索したりと、ある程度の情報を集めて理解する事までは喜んで出来るのにそれを他人に伝えようとまとめたり書き上げる事が苦手すぎて苦しい様です(T_T)
・・・って、傍から見れば小学2年生なんだからやり方がわからなくて当たり前だと思っています。
今彼が感じているのは生みの苦しみとでも申しましょうか。今後の人生で何度も経験していかなくちゃいけない辛い作業な訳ですが、真剣に向き合っているからこその苦しみ。うまく乗り越えていける様に見守ってやりたいなと思います。(って、実際にはかなりの抵抗感と夏の暑さもあって私までヒートアップしてしまう事も多々でした(>_<)猛省しつつ、夏休みはあと数日ですが楽しみながら見守りたいと思います。)
夏の思い出
そんな日々を過ごす一方で
↓火星大接近を一緒に見たり、
↓遅くなったけど手形足形をとってみたり。
好きな事や楽しい習慣は出来るだけ続けたいなと思っています。
とれた足形をよく見ると、なんと今年は土踏まずが出来ていました♪
聞くと案の定
「最近は足先の痛みがなくなったョ!」
との事。
↓一年前に足指の変形が進んでいたというお話しをさせていただいたのですが、 let-me-pick-you-up-d.hatenablog.com
今年は足の形にあう靴が無事見つかり、学校でもしっかりと運動に取り組めている事でいつの間にか好転したのかもしれませんネ。
支えて下さる周囲の方々に感謝の日々です。